発生初期での汚染物質への曝露は何をもたらすのか?

 野見山先生過去にトランスやコンデンサの絶縁油として使用されたポリ塩化ビフェニル(PCBs)や、物を燃えにくくする難燃剤として家電製品や繊維製品などに使用されているポリ臭素化ジフェニルエーテル(PBDEs)などの有機ハロゲン化合物は、多様な野生生物から検出されており、生態系の汚染が顕在化しています。これら有機ハロゲン化合物は、生体内に取り込まれると肝臓で薬物代謝酵素(CYPs)の働きにより、極性の高い水酸化代謝物(OH-PCBs、OH-PBDEs)へと代謝されます。しかしながら、近年これら代謝物の毒性が問題視され、とくに甲状腺ホルモンや脳神経系への影響が危惧されています。これは、OH-PCBsやOH-PBDEsの化学構造が甲状腺ホルモン(T4)と類似しているため(図1)、血中で甲状腺ホルモン輸送タンパク(TTR)と競合結合し、甲状腺ホルモンの恒常性をかく乱するためです。さらに、TTRと結合した水酸化代謝物は、胎盤関門を通過して胎児へ移行し、さらには血液脳関門を通過して脳神経系へ移行することが示されました(図2)。

 とりわけ胎児・乳児期は脳神経系発達がめざましく、かつ化学物質に対して高い感受性を持つため、脳内甲状腺ホルモンのかく乱による神経発達への悪影響が危惧されています。しかしながら、胎児に関する水酸化代謝物の分析事例は少なく、霊長類ではヒト臍帯血の報告例があるものの、胎児組織を対象としたOH-PCBs研究の報告は皆無です。また、ヒトでは倫理的な制約から血液以外の組織試料の分析は困難であるため、OH-PCBsの体内動態に関する報告は極めて少ないのが状況です。
 私たちの研究室では、愛媛大学の生物環境試料バンク(es-BANK)に冷凍保存されている貴重なニホンザル試料に注目し、母猿および胎仔の脳・肝臓・胎盤・羊水中に残留するPCBsおよびOH-PCBsの汚染実態と蓄積特性を、多様な先端機器を駆使して解析しています。これらの分析結果から、胎盤を介した母子間移行の実態解明を試み、体内動態の解析が困難なヒトのリスク評価に関わる基礎情報を得ることを目的として、研究を進めています。

研究の特色

 私達の研究を遂行する上で欠かせないものが、生物環境試料バンク(es-BANK)です。愛媛大学の研究グループは、過去40年にわたり陸棲や海棲哺乳類などの生物試料を世界各地から集めることに成功し、これらは学内のes-BANKに冷凍保存されています。その試料数は、約1,400種類、120,000検体を超えています(2014年4月時点)。この中には、本研究の対象生物であるニホンザルの試料も多数保存されており、妊娠個体を含め様々な成長段階の試料を分析に供試することが可能です。
 image006これらの試料を分析した結果、新しい発見がありました。胎仔の肝臓中PCBsおよびOH-PCBs濃度は、ともに後期胎仔期個体よりも胚・中期胎仔個体で高値であり、成長にともなう減少傾向が示されました。そこで、胎仔の発達段階別に肝臓中総負荷量(蓄積した汚染物質の総量)を計算すると、 PCBs、OH-PCBsともに胚仔期から中期胎仔期の間で負荷量の著しい上昇が認められ、初期胎仔発達段階における化学物質の特異的な移行期間の存在が示唆されました(図3)。さらに、注目すべき成果として、初期胎仔の脳からもOH-PCBsが検出され、発達の極初期段階からこれらの汚染物質が脳へ移行・残留することが明らかになりました。これらの成果は、2014年5月14日毎日新聞全国版の総合2面に「ニホンザル胎児からPCB:霊長類では初検出」の見出しで掲載されました。

研究の魅力

ヒト血中における有機ハロゲン代謝物の蓄積は明らかとなっていますが、胎児の脳や肝臓への移行・蓄積特性に関する情報はありません。霊長類を対象として、PCBs、PBDEsの生体内変化に着目し、代謝物の体内動態と脳移行まで踏み込んだアプローチは、世界的にみても研究例がなく先駆的な試みです。ニホンザルを解析することにより、霊長類における代謝物の生体内動態や脳移行、母子間移行を明らかにできれば、ヒト胎児の脳発達期におけるPCBs、PBDEsのリスクを総合的に評価する有用な基礎情報が得られるでしょう。
 まだまだes-BANKには、ニホンザル以外にも多様な生物試料が保管されています。人類の貴重な財産ともいえるこれら冷凍保存試料を活用して、世界に類のないスケールで研究を展開することが出来れば、私達の研究は更なる発展を遂げることができるでしょう。

 

図4

アメリカアリゲーターのサンプリング

図5

研究の主力である高分解能ガスクロマトグラフ質量分析計

 

研究の展望

 ニホンザルで得られた結果は、ヒト胎児においても類似の移行・蓄積が起きていることを示唆しており、今後は脳神経系へ及ぼす影響の評価が求められます。脳へ移行した汚染物質が神経の発達へどのように作用するのか?作用機序の解明が重要な課題です。

この研究を志望する方へ 

 研究室では、勉学研究を通して新しい科学的事実を発掘し、世界初の評価を受ける快感を多くの学生に味わって欲しいと思います。研究は知力だけでは通用しない、気力・体力が伴わなければ成功しません。私達の研究室のスローガンは、「Never Sleep Study Hard」です。寝食を忘れるほど研究に没頭し、環境分野の世界一をめざしませんか。

この研究活動は、教員の実績ハイライトにも掲載されています。 

 教員の実績ハイライトとは、教員の「教育活動」「研究活動」「社会的貢献」「管理・運営」ごとに、特色ある成果や業績を精選・抽出したもので、学内のみならず学外にも広く紹介することとしています。