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愛媛のポン菓子についての研究と経営実践 法文学部総合政策学科経営管理論研究室&Challenge Job Club

法文学部総合政策学科経営管理論研究室では、愛媛のポン菓子の特徴・歴史・現 状・将来を調査するとともに、経営実践に取り組んでいます。

愛媛の文化・伝統としてのポン菓子

 そう遠くはない昔、お店や移動販売のおじさんにお米を持っていって、「ポン!」(実際にはドーン!)という爆音、水蒸気、甘い香り、そして膨らんだポン菓子を楽しみにしたものです。戦後、ポン菓子は国産ポン菓子機の登場とともに移動販売業者や駄菓子屋を通じて人気が高まり、世代を超えて親しまれました。
 米などの穀類を膨張させたポン菓子のことを、愛媛県ではパン豆、パンパン菓子、パットライス、嫁入り菓子、いりごめ、ドンパンなどと呼び、地方ごとに食文化として定着しています。特に東予地方では、戦前来、ポン菓子を嫁入り菓子とし、人生の大切な瞬間に欠かせない文化・伝統として発達しています。今日、ポン菓子は縁起物として新築祝いや出産、還暦祝等の贈答品としても重宝されています。ポン菓子には「元気でまめに暮らしてほしい」という親心と地域の人々に幸せの福分けをするという意味があります。 

2010年は国産ポン菓子誕生65年

 日本では、第1次世界大戦以降、ベルギー製やアメリカ製のポン菓子機(穀類膨張機)が輸入され、愛媛県でも1930年代には移動業者が登場しました。国産ポン菓子機を開発・製造・販売・商標登録したのは、小倉市在住のタチバナ菓子機社長吉村利子さん(85歳)です。
 1944年、大阪で勤労動員のため小学校の先生になった吉村さんは、戦火と食糧難、燃料不足の中、子どもたちが雑穀の生煮えなどを食べてお腹を下していることに心を痛め、自宅で入浴や食事などのお世話をしました。家庭訪問の時、河原に住む乳飲み子を抱えた母親からお世話をしたことを感謝され、一緒に涙を流したそうです。吉村さんは、ポン菓子機を作りたいと文献を調べ、旧知の京都大学教授の協力を得て福岡県小倉市の職人を尋ねました。1945年3月11日、小倉市に移住した吉村さんは、完成した国産ポン菓子機を受け取りました。それからポン菓子機の事業を手がけて65年、ポン菓子機とポン菓子の文化は広がりました。

愛媛のポン菓子の食文化を伝承・発展させたい

本研究室に所属する学生は、就職・自立をめざすサークルChallenge Job Clubの一環として、ポン菓子“あいぽん”(本研究室での呼称)の調理や販売などの経営実践に取り組み、また、ポン菓子の特徴・歴史・現状・将来についての調査をもとにその魅力を伝え、就職・自立のための研修と地域との関わりを進めています。
 アンケート調査によると、「結婚のときにポン菓子を揃えた」「嫁入り菓子をもらうのが楽しみだった」「『ポン!』という音や甘い香りが懐かしい」「業者のおじさんに遊んでもらった」など、いろいろな思い出があることが分かりました。近年、 街中でポン菓子を見かけることは少なくなりましたが、今でも多くの方がポン菓子に親しみをもっています。
 2010年は、国産ポン菓子機誕生65周年、愛媛にポン菓子が広がり始めて60年になります。私たちは、「ポン菓子の願いは健康と平和」であることを伝えていきたいと思います。

 

*関連報道:
 ・2010年1月13日 読売新聞求めて 昭和再発見 <10>ポン菓子パッと笑顔
「味の記憶」愛大生再興
 ・2010年3月12日 愛媛新聞「愛媛大生ポン菓子を調査・研究

<法文学部>