微生物と酵素の力で豊かな人間社会の実現に貢献する

渡辺先生 微生物の多くは肉眼では見ることができませんが,100℃を超える深海の熱水中や,塩の結晶が析出するほどの塩湖,pHが1∼2という超酸性など,実に多様な環境に生息しています。また,私たちが栄養にできないような物質を代謝あるいは分解できるものも多く,その能力は生命の設計図であるゲノムDNAに書き込まれている遺伝子から作られるタンパク質(酵素)によるものです。酵素は生体触媒とも呼ばれ,ターゲットとなる化合物(基質)に対する選択性が極めて高く,無機触媒に比べてはるかに温和な条件で反応が進行し副産物も出さないため,バイオプロセスの主人公として物質生産・環境浄化等の幅広い分野で活用されています。
 技術革新により長大な微生物のゲノムDNA解読が容易になった現在では,酵素そのものよりも遺伝子のほうが先に分かる時代になりました。一方で,膨大な数の機能未知遺伝子がデータベースに埋もれています。私たちの研究室では,上記のような産業的応用を念頭に新しい反応を触媒する酵素(遺伝子)の発見に取り組んでいます。

図1

研究の特色

 機能未知遺伝子の機能探索は,すでに発見されている酵素とのアミノ酸配列の類似度(相同性)を調べるところから始まります。しかし,この方法では全く新しい配列を持つ酵素,あるいは相同性が低い酵素の機能を正確に予測することが困難です。一方,微生物のゲノムDNA上には,ある物質の代謝に関わる酵素遺伝子が隣接して存在することがよくあります(遺伝子クラスターと呼びます)。これを利用して,ある遺伝子の機能を,他のクラスターになっている遺伝子の機能から類推し,酵素をパズルのように経路に当てはめることができます。
 L-ヒドロキシプロリン(L-Hyp)は20種類の標準アミノ酸ではありませんが,自然界に広く存在しています。トランス-4-ヒドロキシ-L-プロリン(T4LHyp)とトランス-3-ヒドロキシ-L-プロリン(T3LHyp)があり,通常の微生物はいずれも栄養源にすることができませんが,窒素固定細菌の一種ではどちらにおいても高い生育が見られます。これはこの細菌がL-Hypを酵素により変換しエネルギーを得る未知の代謝経路を持つことを示唆しています。こうした場合,酵素を一つ一つ精製してきてそのアミノ酸配列から遺伝子を突き止めるのですが,これは大変手間のかかる作業です。私たちは,以前にT4LHypの代謝に関わる最後の反応を触媒する酵素遺伝子(緑色)を見出していました。そこで,上記のようにゲノム情報を活用し,効率的に全ての酵素遺伝子を発見することができました。さらに,超高温環境で生育する古細菌と呼ばれる微生物にもL-Hypの代謝能力がある可能性が示唆されました。こうした微生物は培養自体が困難な場合も多いことから,ゲノムDNA情報を利用し遺伝子の存在から代謝の可否を類推することはとても重要です。

図2

研究の魅力

 遺伝子がありそれが酵素として働くならば,必然的に基質が存在し細胞内では実際にその物質と出会っているということになります。機能未知というのは,単に私たちがその相手を見つけられていないだけなのです。酵素にいろいろな化合物を与えては測定装置と“にらめっこ”するという作業を繰り返していきます。そして,ある化合物を加えたとき突然,画面の数値が動き出し反応が始まるときがあります。そのときの興奮と感動は何物にも替え難いものであり,ゲノムDNAの上にはこうした「基質との運命の出会い」を待っている酵素遺伝子がまだまだたくさんあるのです。

研究の展望

 私たちを取り巻く環境に様々な問題が生じてきた現在において,研究によって得られた発見をどのように人間生活に還元できるのかを研究者自らが考える重要性は,ますます高まっているといえます。例えば,L-Hypはコラーゲンと呼ばれるタンパク質のみに含まれるので,その量を測定すればサンプル中のコラーゲン量も見積もることができます。コラーゲンは皮・骨・軟骨・腱(けん)などの主要成分です。私たちが明らかにした微生物の代謝酵素を利用することで,これまでの煩雑な方法に替わる簡便・安価・迅速な測定が可能となりました。この技術開発では,アミノ酸の混合物中からL-Hypのみを測定するために酵素の基質選択性の高さが如何なく発揮されました。

図3

この研究を志望する方へ

 私の研究室は,農学部応用生命化学コースの生化学教育分野に所属しています。まずは農学部に入学し,コース分属(2年次4月)を経て3年次9月に研究室に配属されます。ご紹介した研究の基礎となる生化学や分子生物学に関する講義はコースカリキュラムで必修となっていますが,何といっても一番大事なことは,「自分がこの研究を必ず完遂する」という強い意志を持つことです。この高いモチベーションこそが全ての原動力になるからです。皆さんと一緒に新しい酵素を宝探しする研究ができることを楽しみにしています。