マラリア原虫のゲノム網羅的なタンパク質研究

マラリアは「蚊(ハマダラカという特殊な蚊です)」に刺されることで感染する小さな真核生物による伝染病です。その主症状は発熱、貧血などで、年間約2億5,000万人が感染し60万人が命を落としています。マラリアは蚊の中で有性生殖を行う「蚊の寄生虫」であり、人間はいわば「牧場」のような存在です。図にマラリアのライフサイクルを示しました。蚊の唾液と共に体内に入ったスポロゾイトは肝臓に感染し、12日程度で赤血球に感染するメロゾイトとなって血中に放出されます。この間、自覚症状は全くありません。メロゾイトは赤血球に感染し、48時間で20倍に増殖することを繰り返します。すると赤血球が破壊され、発熱と貧血が生じます。生殖母体が蚊に吸血され蚊の腸の中で有性生殖を行います。

マラリアの治療には化学療法剤が用いられ、適切な治療を早期に受けることができれば、死に至る例はあまり多くありません(それが難しいわけですが)。しかし薬剤耐性マラリア原虫が出現してきており、新しい対策が必要になって来ました。そこで新規「マラリアワクチン」と「診断法」の開発が求められています。

マラリアのライフサイクル

研究の概要

マラリアは日本で流行していないので、皆さんが感染したことはないでしょう。地球温暖化が進めば日本でマラリアが流行するようになるのでしょうか。熱帯病というイメージのあるマラリアですが、戦前の日本では北海道でも屯田兵が感染していたことが知られています。現代日本でマラリアが流行しないのは、アジアのハマダラカが生息する地域が山裾の渓流などに限られているからです。同じ理由でタイでもバンコクといった都市部ではマラリアの流行はほぼありません。そのため地球温暖化の影響でマラリアが日本で流行するようになるとは考えにくいのです。

では何故、マラリアのリスクが非常に低い日本で、しかも愛媛大学でマラリアの研究をしているのでしょうか。それは愛媛大学で確立された「コムギ無細胞タンパク質合成系」がマラリア研究と非常に相性がよいからです。マラリア原虫のタンパク質はとても特殊で、大腸菌やヒトの細胞を用いても組換えタンパク質を発現できません。しかしコムギ無細胞系ではほとんどの例でマラリア組換えタンパク質を合成することが可能です。そこで私はこれを最大限利用して「4,000種類のマラリア原虫タンパク質アレイ」「600種類の抗マラリア原虫ウサギ・マウス抗体ライブラリー」といった世界一の規模を誇るバイオリソースを構築しました。これをうまく使うことで、私達でしか解き明かせない「マラリアの急所」をつぎつぎと明らかにしています。

マラリアワクチン

2021年10月6日(水)、ついに史上初のマラリアワクチンがWHOによって承認されました。40年以上の月日を投じて開発されたのですが、効果はわずか30%程度のマラリア重症化を阻止するだけであり、さらに効果の高いワクチンの開発が必要だということがわかりました。マラリアワクチン開発の難しさを示す良い例だと思います。マラリア原虫には遺伝子が5,500種類もあるということが難しさの理由です(ちなみに新型コロナウイルスは10種類程度しかありません)。5,500種類の遺伝子から合成されるタンパク質のうち、どれがマラリアワクチンに適した抗原になるのでしょうか。そこで私達はそれらを出来る限り全部テストするという「力技」に出ました。「600種類の抗マラリア原虫ウサギ抗体ライブラリー」をテストした結果PfRiprという新しいマラリアワクチン抗原を見つけることに成功し、さらにタンパク質工学を駆使してワクチン抗原として最適化し、PfRipr5と名付けました。PfRipr5は第二世代マラリアワクチン候補として大変注目されています。

190410愛媛新聞_新規赤血球期マラリアワクチンの開発

マラリア診断法

流行国の住民が感染・治療を繰り返すと、マラリアに感染しても症状が出なくなります。そのようなヒトは感染していることに気が付かず、マラリア流行の原因になってしまいます。このような「無症状感染者」を効率よく見つけ、治療するためには、新しい抗体検査法の確立が必要です。現在ガーナ、ブルキナファソ、ケニア、パプアニューギニア、タイなど世界中の流行地から血清を譲り受けています。独自に開発した高速・高感度な抗体価測定系を用いて、「4,000種類のマラリア原虫タンパク質」からマラリア診断に便利な抗原を探索しています。我々の測定系は既存技術よりも感度と再現性で圧倒的に勝っており、これから更に様々な利用を計画しています。

200513愛媛新聞_三日熱マラリアNatureMedicine

研究の特色

ウイルス感染では簡単に答えが出るような問いに、マラリアの研究者は答えることができませんでした。たとえば新型コロナウイルスではSタンパク質に対する抗体が重要なことが知られていますが、マラリアの場合はどうでしょうか。マラリアに感染すると、どの抗原に対して最も抗体が産生されるのでしょうか?そしてそれはマラリアの感染阻止に貢献しているのでしょうか?世界で我々だけがその問いに答える事ができるのです。どうですか、ワクワクしませんか?

研究の魅力

おおよそ10年間かけて、独自バイオリソースと、それを十分に利用するための特殊な実験系を磨いてきました。今ようやくそれが実を結びつつあり、世界中の研究者と共同研究を活発に行っています。言語や専門領域が異なる複数のグループが参加するオンラインミーティングを毎晩のように開催し、一歩でも前に進む努力を重ねています。このような「学際的」な側面が、私の「マラリア学」の魅力だと思います。みなさんも文化や言語や専門領域を飛び越えて、様々な人達と交流したいと思いませんか?興味を持った方は是非連絡をいただければと思います。ちなみに、マラリア学(malariology)は私の造語ではありません。1900年ごろから使われ始めた由緒ただしい学問の一分野なのです。

今後の展望

我々の研究で、マラリアの急所が分かってきました。また海外流行国との関係性も更に堅牢なものになってきています。これから分子寄生虫学・タンパク質工学・分子疫学などを横断的に駆使することで、マラリアワクチンやマラリア診断法を社会実装してゆくつもりです。

この研究を志望する方へのメッセージ

我々のマラリア研究は日本だけでなく世界的に注目されています。我々にしか開くことの出来ない窓から見える景色を一緒に堪能しませんか?人類の天敵でありつづけたマラリアに一矢報いる時が近づいています。共にマラリアの急所を撃とうではありませんか。