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HISTORY 〜理工学研究科電子情報工学専攻 村上 研二 教授〜

平成26年3月末退職の理工学研究科電子情報工学専攻 村上 研二 教授から大学での思い出を寄せていただきました。

愛媛大学での勤務を振り返って

 block_57403_01_M昭和48(1973)年3月、愛媛大学大学院工学研究科修士課程電気工学専攻を修了し、同年4月から新設5年目の電子工学科に助手として採用していただきました。それから17年後の平成2(1990)年6月、今度は新設4年目の情報工学科に教授として異動し、研究室を構えることになりました。
 当時、研究室は実質的に大学における研究と教育を担う基本単位であるにもかかわらず、その運営は研究室のトップである教授の裁量に任されている部分が多く、かつ各研究室は互いに干渉しないと言うのが暗黙の了解でした。幸い、私は電子工学科での17年間、学生時代からの恩師でもある相原恒博教授(現名誉教授)の研究室で、助手、講師、助教授を務めさせていただきましたので、研究室の在り方、運営方法、学生の育て方等についても色々教えていただきましたが、自分が教授となり研究室を運営するとなると、その責任の重さはそれまでとは全く異なります。なぜなら、「研究室では、学生の教育と進行中の研究とが混じり合って進められており、これを運営する教員個人の経験・力量が教育・研究活動の質に大きく影響する(人工知能学会誌第29巻第1号「いきいき研究室コミュニケーション−研究推進と人材育成のポジティブな関係を求めて−」)」からです。すなわち、研究室の学生、若い教員に対する教育・研究活動のレベルを一定以上に保つためには、研究室のトップである教授自身が研究者としてのレベルを高め、研究室の構成員から一目置かれる存在でなければならないからです。教授となって、学内の管理運営や学外の社会貢献の仕事が増えたことを理由に、研究を人任せにすることは許されないのです。

 block_57404_01_Mこのため私は、研究室の若い教員や学生等と協力しながら進める「研究室としての研究」とは別に、若い人の力を借りず「自分自身で取り組む研究」も並行して続けること、また、その研究が独善的にならず、常に第三者からの評価をいただけるよう、その研究費は科研費などの外部資金で賄い、研究成果は定期的に有名学会誌に投稿することを目標にして、研究室の運営を行ってきました。
 教授になって24年が経ちました。途中、学部長等責任の重い職を担わせていただいたこともあり、必ずしもこの目標を十分に達成できたわけではありませんが、幸いにも定年の年となる本年度も科研費の補助の下、筆頭著者として電気学会に論文を掲載することができました。

 助手として採用していただいてから41年、良き師、先輩、同僚、知人、教え子に恵まれ、本当に幸せな大学生活を送ることができました。心より感謝申し上げます。