平成19年5月24日(木)愛媛大学城北キャンパスグリーンホールにおいて、戦争と平和について考える公開講義「地域と世界(平和学入門)」(担当:和田寿博法文学部准教授)を開講しました。
今回の講義では、被爆者で原爆症認定訴訟原告の井上定雄さんとサチ子さんご夫妻、愛媛県原爆被害者の会の松浦秀人事務局長、法文学部のOBでこの訴訟を担当している水口晃弁護士をお迎えして行いました。
はじめに、広島で被爆された井上サチ子さんから、原爆が投下された8月6日の生々しい悲惨な体験について、語っていただきました。
要 約
8月6日の朝は、空襲警戒警報も解除され、明るい良い天気でした。突然、ピカッと黒っぽい閃光とドドンという大きな音とともに、一瞬のうちに家が倒壊しました。家族全員で防空壕に避難しましたが、外には死体やけが人が沢山横たわっていました。避難しましたが食べ物が無く、父の採ってきた黒い雨のついた草をみんなで食べました。また、放置された死体は集められて焼かれていました。
10月に戦争が終わったことを知り、愛媛に帰るため宇品港まで歩いて移動しましたが、広島市内には原爆ドームの骨組みしか残っていませんでした。船に乗り、みんなで蛍の光を歌って帰ってきましたが、外で被爆した姉は1年後に亡くなりました。
帰ってから定雄さんと知り合い、被爆者同士ということで反対されましたが結婚、流産や死産を繰り返し、子どもはできませんでした。こちらに帰ってからも貧血などでずっと体調が悪く、40才で関節リュウマチの要介護の認定を受けました。平成17年7月には胃ガンと診断され、3分の2を切除、これを機会に原爆症認定の申請をしましたが却下されました。平成18年5月に大阪地裁での勝訴判決を知り提訴、先日4回目の公判がありました。これからも身体が続くまで頑張ります。
続いて松浦事務局長から、被爆者手帳を持っている26万人の平均年齢が72〜73才で、大半の人が病気で苦しんでいるが認めてもらっていない。国の責任で始めた戦争で、軍人は保障されて民間人は保障されないという問題提起と、原爆は、大量の人を殺すだけでなく、50〜60年も被害が続いている。原爆を無くすことは被爆者共通の願いだとのお話がありました。
また、水口弁護士には、裁判を戦っていく観点からお話いただき、裁判官に理解してもらうためには被爆者が実際の体験を話してもらう必要がある。裁判所は認めているのに国は認めないので、国会を動かそうと頑張っている。これから、事実をいかに出して、どう救済するのか。26万人をどう救うか。これ以上の被害者を出さない。これらのことを考えていく必要があるとのお話がありました。
最後に、「何故、国は責任を認めないのか」、「私たちが力になれることはどんなことがあるか」等の質問がありましたが、受講生はこの講義をきっかけとして、学び、深め、追求してこれら諸問題の解決に努力してくれるものと期待しています。
広報室