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HISTORY 〜農学部森林資源利用システム 林和男教授〜

 平成24年3月末退職の農学部森林資源利用システム 林和男教授から大学での思い出を寄せていただきました。

愛媛大学の思い出

block_43898_01_m 私は平成元年(1989年)10月に愛媛大学に赴任したので、平成の思い出はすべて愛媛の思い出である。
 赴任のため初めて松山駅に降り立ったときの町並みの寂しさに驚いた。これが市の玄関か、ここで生活できるのかという思いが頭をよぎった。さらに農学部の近くになると、バス通りが狭くなり、しかも道路で裸の人が機械の解体をしていた。戦後すぐにタイムスリップしたような感じであった。これが松山の第一印象である。松山に赴任後40日目に、この年の世界最大の出来事、ベルリンの壁の崩壊が起こったのである。共に戦後を思い出させる出来事であった。

 さて、大学の生活であるが、農学部では赴任前の昭和63年改組があったため、赴任した時には新旧のカリキュラムが共に動いており、講義だけで週7コマあった。それ以外にゼミ、実験があった。しかも、学生が3人在籍していたが卒論のテーマが決まっていなかったため、それも決めなければならなかった。毎日、講義が終わると次の日の別の講義の準備をした。講義が終わると、頭を切り替えるため、回数券を買って道後温泉に行ったものである。
 私の所属は、森林資源学コースで、研究室は木材材料学(現森林資源利用システム)ということで、目標を「木材の多面的な特性を、元素組成から構造物にいたる広範囲な視点から理論的・実験的に明らかにし、持続的かつ循環利用のプロセスを構築すること」とした。
 前任地の研究室は、教員4名、技官1名、事務官1名と大所帯だったが、ここでは、私ともう一人の教員の2名だけだったので、テーマなどを相談するにしても相手が少ないことが、予算や装置が不足していることよりも大変だった。比較して嘆いてもしょうがないので、装置と予算を獲得するため、以前の恩師を通して民間との共同研究の相談を持ちかけた。それが合意され、やりたいと思っていた木材乾燥の研究を進めるための体制が徐々に整っていった。その後科研費、学内予算の獲得、学外のプロジェクトにも参加させていただいて、贅沢をいわなければ研究室の運営はできるようになった。それと並行して、3年目から大学院に進学する学生が現れ、さらに外国からの研究員、留学生も参加することで、木材乾燥の基礎や実践的な研究や新たな研究を積み重ねることができた。皆の努力もあり、私どもの研究室も中心メンバーになって国際乾燥学会を日本に誘致して開催することもできた。これ以降、この分野で日本人が外国で発表することが増加し、この分野の国際化に貢献したと秘かに思っている。
 一方で、大学の最大の評価は、学生が力をつけ社会で活躍することであることを常に意識した。したがって、講義を理解してもらうために、追試、再試、面接を何度となく行った。担当科目が、木材物理学、材料力学と乾燥などであったので、最低限ニュートン力学の入門くらいの物理が必要となる。しかし、物理嫌いの学生が多いことにおどろいた。そこで、研究の大切さを説くだけでなく、単純な標語を作り学生を鼓舞した。たとえば、「木材しか世界は救えない」、「体が動かないものは頭も働かない」、「時間をかけなければいいものはできない」、「難しいから面白い」、「大学生は自分で考えること・批判精神を持つ・責任を持つこと・利他主義であること」等々、また本を読んでいる学生が少ないと感じたので、「本は自分で経験できないことを補い視野を広げるから本を読め」など、お節介なこともよく言った。研究室に配属されてから、年間100冊読んだ学生がわずかではあるがいることは力強く思った。

 59歳まで本当に自由にやらせてもらった。外国へも20か国くらい行かせていただいた。学部内の委員はいやいやでもこなしたが、全学の委員は一度もやらなかった(と思う)。そんな私が59歳の時突然副学長をやれと言われ目が点になった。なんで、どうして、学長が自分を知っているはずがない。しかし、誰かが推薦してくれたのだと思い、ここは大学への恩返しと思い、腹をくくってと決心した。器用ではないこと、力不足のため、2つのことはできないので、それからは研究室の教員、学生院生には非常に迷惑をかけた。迷惑と言えば、期限が守れないこと、手続き音痴、優柔不断で事務の方々にも大変迷惑をかけた。この場を借りてお詫びしておく。
 最後に、最近心配している大学教育について述べておきたい。若い世代の人口が減ってきているが、大学自体はそれほど減っていないので、希望すれば誰でもどこかの大学に入学できる(大学のユニバーサル化)といわれている。杞憂であってほしいが、愛媛大学もその方向に向かっているのではないか、しかも今後はもっと進むのではないかと心配している。これに対応するためには、今までの延長線上に立った考え方での改善、教育力向上の努力だけでは大学教育が一部成り立たなくなるのではないかと思っている。
 もちろん、これは学生の能力の問題でもあり、すべての学生に当てはまるとは思っていない。愛媛大学は、地域を一つの重要目標にしているので、それにも対応できるような教育体制も視野にいれ、従来の延長線上にない体制、教育方法にも挑戦する必要があるのではないかと思っている。

 長い間お世話になりました。愛媛大学の益々の発展を祈念します。