平成24年3月末退職の無細胞生命科学工学研究センター 遠藤彌重太教授から大学での思い出を寄せていただきました。
退任にあたって
「はたとせのうるわしのみの水仙花」
家内の希望を受けて愛媛大学の教員公募(たぶん最初)に応募して、運良く工学部教授として赴任してから、はや20年が過ぎました。応用化学科から始まり、微力ながらVBL(ベンチャービジネスラボラトリー)施設長、無細胞生命科学工学研究センター長として、教育・研究を楽しんで参りました。この間、遺伝子施設、VBLと無細胞センターの立ち上げに携わり、申請作文デッチ上げのコツを学んだり、また、平成16年度からの国立大学法人化に備えて、SSC(スーパーサイエンスコース)、総合科学研究支援センター、東アジア古代鉄文化研究センター、南予水産研究センター、宇宙進化研究センター、上級研究員センター、プロテオ医学研究センターの設置にも参画する機会を得るなど充実した毎日を過ごすことができました。これはひとえに職員の方々からの全面的なご支援と同僚の辛抱があってのことで、特に仲間として遊んでもらうと同時に陰からの温かいご支援を頂いた多くの事務職員の方々に、この場を借りて深く感謝させていただきます。
この20年間で嬉しかったことは、価値観を共有できる卒業生と研究仲間を得られたことの他に、生命体の部品として機能しているタンパク質分子を試験管の中で自由自在に合成する実用的な手法を世界に先駆けて確立することができたことです。本学発のこの技術は世界標準技術として確実に広がってきています。また、大学の最大の使命が人材育成にあることを考えてこの技術を応用して生命の中心教義教育用教材も開発できたことで、平成24年度からの高校生物教科書に掲載される運びとなっていることも大きな歓びです。
振り返れば、この36年間、徳島大学医学部、シカゴ大学生命科学研究所、山梨医科大学、そして本学工学部で“穏やかでない性格の教員”を努めて来たと思います。本学では、小松正幸学長時代にSSCの設置に真っ向から反対し、文科省の好意的な無細胞センターの設置に快く賛同しなかった言動から、我がまま者の烙印を押されていたようですが、私なりの純な意見を主張しただけで、それでよかったのだと確信しています。本学の素晴らしいところは、時代の雑音やプレッシャーがなく、何やって善し、やらなくて善しの良きロマンエアーが残っていることだと思います。現職を去るに当たって、次世代を担う後輩諸氏にお願いしたいことが二つあります。それは、文系理系や学部を問わず大学教員たる者は、1)先ず研究に没頭することを通して自らを研き究めることで、副産物である成果はあるに越したことはないが、どうでもよい!、そして、2)教育(EDUCATION)の現場では、公平よりも遥かに難しいのですが、徹底的な“えこひいき”を心がけてください。
お騒がせしましたが、皆さん有り難うございました。退職後は、カリフォルニア大学客員教授との兼任で特別栄誉教授として本学で今しばらくの間、この調子で楽しませて頂きますので、どうぞ宜しくお願いいたします。