私が愛媛大学と関わりをもったのは1969年のことで、愛媛大学を受験・合格し、この年の春に初めて愛媛の地を踏みました。関西汽船に揺られ、生まれ故郷の別府から松山に到着したことを今でも鮮明に覚えています。松山の港は市街地から離れた寂しいところにあり、船から港に降り立ったとき、「本当に松山に着いたんだろうか、船内で寝ていたので松山を乗り過ごし次の港に着いてしまったのでは・・・」と不安になったことを覚えています。その後、松山での生活が始まり、6年間の学生時代・40年間の教職員時代を経て、合計46年間およそ半世紀を愛媛の地そして愛媛大学でお世話になりました。これまでを振り返ると、沢山のいろんなことを思い出しますが、その中で私の人生に大きな影響を及ぼした出来事を3つほど紹介したいと思います。
最初の出来事は、私の人生を大きく変えた恩師の立川 涼先生との出会いです。立川先生との最初の接点は、3年生の時に農学部で先生の講義を受けたことでした。米国での留学から帰国されて間もない先生は、留学中に経験した様々なことを当時はまだ珍しいスライドプロジェクターを使ってわかり易く説明してくれました。特に印象に残っているのは強烈な体制批判で、他の教授にはない個性的な内容の授業にすっかり魅了され、立川先生の授業だけは教室の最前列齧付で、一度も欠席せずに受講したことを覚えています。その後、立川先生の研究室に卒論生・修論生として分属することになりました。当時の私は麻雀に興じる不真面目学生だったのですが、そんな私に興味を持ち、敬遠することなく指導してくれた理由は、「麻雀など賭事に対する私の集中力は尋常ではない、このエネルギーを研究に転化できれば、モノになるかもしれない」と思われたようです。とにかく立川先生はヒトや物事を見る目が通例ではない、つまり大変人であったことが私にとっては幸いしました。すなわち、ヒトの可能性や長所を徹底的に見抜き、それを伸ばす立川先生の教育方針に私はすっかり填ってしまったわけです。いずれにしても、立川先生との出会いがなければ今日の私はあり得なかった、立川先生の存在と接点は、私の人生を決定づけた最大の出来事でした。
2つ目の出来事は、1995年に立川先生が高知大学に学長として転任され、私が立川先生の研究室、環境化学研究室を引き継ぐことになったことです。当時、学内外の教員や学生、研究室の諸先輩方の大半は、「これで愛媛大学の立川研究室は終わった、早晩立川研究室は潰れる」と思っていたようで、こうした声が当時あちこちから聞こえてきました。これらの風評は私の反骨心に火をつけ、「Never Sleep, Study Hard」をモットーに1年365日のうち363日は大学に出勤し、休祭日・昼夜を厭わず研究に没頭する生活を長年続けました。その効果があらわれ、研究室から約300名の博士・修士・学士が巣立つとともに、3500報を越える著書・原著論文・学会発表等を公表するなど、多数の実績を残すことができました。こうした学究活動や30年以上継続した土曜日のゼミなどは、私のわがままを貫いた結果であり、研究室の学生や教職員そしてその家族に多大な迷惑をおかけしたことは疑いありません。この場を借りて、深くお詫び申し上げます。いずれにしても伝統ある立川研究室を今日まで、潰さなかったことに安堵しています。
3つ目の出来事は、1999年に沿岸環境科学研究センターすなわちCMESが設立され、農学部からCMESに転任したことです。この移動は私にとって大きな賭けでした。当時CMESには建物がなく、また教育研究のための好条件が用意されていたわけでもありませんでした。したがって転任を躊躇し惑うことが何度もありましたが、一方で農学部に留任しても先が見通せるものは何もなかったことから、CMESで学者人生を極めることを決断しました。この決断は私のその後の学究人生を大きく好転させることになりました。COE等大型プロジェクトや基盤Sなどの大型科研費の獲得に成功したこと、またCMESでの活動が国際賞や紫綬褒章等、私や研究室の教職員そして多くの学生の受賞に繋がったことなどは、CMES移動の決断が間違っていなかったことを示しているとともに、多大な便宜を図ってくださった歴代4学長、鮎川先生、小松先生、柳澤先生、現学長の大橋先生、そして協働してCMESの発展に努めた武岡英隆学長特別補佐に厚く御礼申し上げます。今後CMESの田辺研究室は若いスタッフが引き継ぎますが、何卒格別のご指導とご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
定年退職にあたり、今般これまでの私の教育研究活動を総括した退職記念業績集とそのCDを作成しました。このCDには、私の略歴や職歴、研究教育業績、そして原著論文・総説のpdfが網羅されており、総ページ数は5000ページ超あります。私がこの業績集をまとめた動機は、地方の愛媛大学で寝食を忘れ教育研究に取り組んだ結果とその結論、所謂「Never Sleep, Study Hard」によって産生された環境学の専門知とその波及効果を後進に伝えておきたいと考えたからです。そこには、学者人生や専門家の将来に不安を抱き別の道を選択しようとしている学生達に、諦めずに挑戦する気概をもって欲しいという期待があります。また、地方大学出身の教員であってもアイデアを熟成させれば世界最先端の研究が可能であり、木鐸となって学界や社会に貢献できることを伝えたいという思いもあります。永年の研究人生の評価は後からついてくるものですが、少なくとも後進には「私を追い越せ」と鼓舞したいのが正直なところです。この業績集をみて、環境学の頂点を目指す野心的な後進があらわれること、そして研究者の道を志す若手が増えることを切望しています。なお、業績集の入手を希望される方は、メール(shinsuke@agr.ehime-u.ac.jp)にてお知らせ下さい。
最後に、今後の私の去就ですが、数年は愛媛大学に留任し、学術研究の発展に貢献する所存ですので、定年後も引き続きよろしくお願いします。