結びつける、動かす、消す: 文を作り出す仕組を探る

 block_27542_01_m人間の言語の文の形成には、少なくとも併合(複数―典型的には2つ―の要素を結合する)、移動(文中の要素を別の位置に動かす)、削除(文中の要素を消す)が関与します。例えば、英語の動詞drank beerという表現は動詞句というまとまり(構成素)をなすが、動詞drankと名詞beer(目的語)を結びつけて動詞句を作り出すのが併合の仕事。名詞John(主語)と動詞句[VP drank beer](VPは動詞句(verb phrase)のこと)を結びつけて文[S John [VP drank beer]](Sは文(sentence)のこと)を作り出すのも併合の仕事(ただし主語が動詞句の中から移動してきたものとする説が現在では支配的)。次に、I know [what John drank]という文では、drankの目的語である疑問詞whatが従属節の先頭に現れているが、ここでwhatを目的語の位置から節の先頭に動かすのが移動の仕事の一例。最後に、Bill will not drink beer but Bill willという文のbut以下は、but Bill will drink beerと同義に解されるが、ここで動詞句drink beerを消すのが削除の仕事の一例です。
 私は、ここ10年位の間併合、移動、削除に関し、それぞれの性質を解明する研究に取り組んでいますが、以下では、併合と移動についての研究の一端を紹介します。

研究の特色

 移動については、文の中の同じ位置への移動の対象となる要素が複数個現れる場合に移動する要素がどのようにして選ばれるのかという理論的課題に取り組みました。具体的には、所有型多重主格構文と呼ばれる日本語の構文(「健が髪がのびた」)について考察しました。ここでは詳細に証拠を挙げませんが、この構文では、移動(この場合は名詞句の主語位置への移動)が適用される前の構造において、所有者名詞句(「健が」)が所有物名詞句(「[健が 髪]が」)に含まれていると考えられます([S [VP [健が 髪]が のびた]])。そのため、主語位置に移動するのが所有者名詞句なのか([S健が [VP [髪]が のびた]])、所有物名詞句全体なのか([S [健が 髪]が [VP のびた]])、という分析上の課題が生じます。私は様々な事実調査に基づき、所有者名詞句(「健が」)の方が主語位置に移動することを示したのですが、このことは、同一位置への移動の対象となる2つの要素(AとB)の間に、BがAを含むという関係が成立する場合、Bに含まれたより小さい要素であるAの移動を選択する原則が働くことを示唆します(最小要素牽引/移動原理)。この原則の働きは、上述の日本語の構文だけでなく、他の言語の様々な文法現象でも観察出来ます。

block_27555_01_o

 次に併合について。上述のように、併合が動詞drankと名詞beerを結びつけて出来る[drank beer]は動詞句であり、動詞を中心とする句表現です。動詞句は、名詞を中心とする名詞句([students of physics])、形容詞を中心とする形容詞句([proud of his son])、前置詞を中心とする前置詞句([from Japan])とは分布(出現する場所のこと)を異にします。例えばHe wants toで始まる文のtoの後に続くことが出来るのは動詞句だけです(ただし動詞は原形、He wants to [drink beer])。もう1つ関連することを述べると、例えば動詞writeは後ろに名詞句を従えることも出来るし([write a letter])、前置詞句を従えることも出来ます([write to her])。即ちwriteは、併合によって名詞句あるいは前置詞句と結びつくのですが、出来上がる句表現はいずれの場合も動詞句です。先に動詞句はHe wants toの後に現れることが出来ると述べましたが、この点はwriteの結びつく相手が名詞句であるか前置詞句であるかには左右されません(He wants to {[write a letter]/[write to her]})。このように特定の句表現全体の分布を決めるのは、その中心となる要素(のみ)です。この点を踏まえ、併合が2つの要素(AとB)を結びつけることで出来る構成素(C)の性質は、AあるいはBのいずれか1つに基づいて決定される、という説が広く受け入れられています。
 しかし人間の言語に見られる全ての句表現が今述べた併合の特性に合致するのでしょうか。私が取り組んでいるのはこの疑問です。具体的には、英語の完了助動詞haveと進行助動詞beに注目しています。進行beは現在分詞動詞句と結びついて構成素(以下Y、[Y be [VP V …]])を形成し、完了haveは過去分詞動詞句と結びついて構成素(以下X、[X have [VP V …]])を形成します。XとYは、本動詞だけからなる動詞句とは分布を異にします。例えば、XとYは、hasten、hesitate、vow等の動詞に続くto不定詞として生起しません(*I hasten to have added that these attacks rarely harmed anyone/*I hasten to be adding that these attacks rarely harmed anyone)。さらにXとYは互いに異なる分布を示します。例えば、Yは否定命令文に生起しますが(進行否定命令、Don’t be begging us for food)、Xは生起しません(*Don’t have begged us for food)。以上の事実は、Xの性質の決定にhaveが関与し、Yの性質の決定にbeが関与することを示します。

 しかし、XとYには、通常の句表現とは一線を画する面が見られます。以下ではYおよび進行beに話しを絞ります。結論を先に述べると、進行beだけでなく、本動詞もYの性質の決定に関与することを示す証拠が存在するのです。上述のように、Y は否定命令文中に生起可能ですが、コーパスを用いた調査では、進行否定命令文に生起する本動詞は全て進行形を伴わない単純な否定命令にも生起出来る動詞であり、進行形を伴わない否定命令に生起しない一方で、進行否定命令文には生起するような本動詞は観察されません。この事実は、特定のYが否定命令で用いられるか否かがYに含まれる本動詞の特性によって決定されることを示します。前の段落での結論と重ね合わせると、進行beと本動詞の双方がY全体の性質を決定していることになります。即ち併合が2つの要素(AとB)を結合することで出来る構成素C全体の性質をA、B双方に基づいて決定する仕組が働いている訳です。この仕組は、冠詞と名詞からなる構成素やveryのような程度表現と形容詞/副詞からなる構成素の性質を正しく捉える上でも必要です。

block_27557_01_o

 

研究の魅力

小さな単位を結びつけてより大きい単位を作る ─ 語をつなぎ合わせて句表現を作る、句表現と句表現(あるいは語)を結びつけてより大きな句表現や文を作る ─ という性質は、人間以外の生物のコミュニケーションの手段には見られない人間の言語に特有の性質であると考えられています。この意味で、言語に関する研究は、人間の人間たる所以とでもいうべき認知能力の解明に必要な作業の一部と考えることが出来ます。身近だけれども、謎の多い存在である言語を通して人間の認知能力の解明に貢献する、これが言語研究の最大の魅力だと私は考えます。

研究の展望

 block_27549_01_m併合に関しては、助動詞have/beの分析に必要となる仕組みが英語の他の表現および他の言語の(対応する)表現の分析にも有効であるかを検討する必要があります。例えば、日本語の否定表現ナイは動詞や形容詞と結びついて「食べない/美しくない」のような形式を作りますが、「食べない/美しくない」全体の特性は、ナイだけによって決まるのか、動詞や形容詞だけによって決まるのか、それともナイと動詞/形容詞の双方によって決まるのか、そして対応する英語のnotはどうなのか等々、興味は尽きません。
 また移動に関して、上では、同一位置への移動の対象となる2つの要素(AとB)の間に、BがAを含むという関係が成立する場合、内部に含まれたより小さい要素であるAの移動が選択されると述べました。一方、削除に目を転じると、削除対象となる2つの要素(AとB)の間に、BがAを含むという関係が成立する場合に、より大きな要素であるBの削除が選択されることを示す事実が観察されています。この適用対象の選択に関する移動と削除の間の相違点をどのように捉えるかは、大変に興味深い理論的課題です。

この研究を志望する方へ

 block_27552_01_m中学校や高校で教わる外国語(多くの場合英語)の文法や日本語の文法をおろそかにしないで下さい。学校で教わる文法は、今までに英語や日本語についてなされた研究の成果を反映するものですから、自分なりに言語を考えていく上で必要となる基礎体力をそこから養うことが出来ます。その一方で、全ての科学研究に言えることですが、現在までに明らかにされていない規則を探る、あるいは現在までに仮説として提出されている規則を批判的に検討して代案を提示することは、言語学の重要な仕事です。従って、教科書や辞書に書かれている内容、事柄だけにこだわる訳にはいきませんし、ましてや教科書や先行研究に書いてある内容を覚えればいいという訳ではありません。知的好奇心と探究心と遊び心を研ぎ澄まして多様な言語現象と向き合って下さい。