エスニック・アイデンティティの多様化の視点から

 block_37911_01_mアメリカ先住民の長きに亘る歴史と文化的営みの上に形成されたアメリカ合衆国は、広大な国土に世界各地から多様な移民を受け入れ、多彩な文化を育み、さらにその光と影を世界に投げかけています。このようなアメリカの多文化状況のダイナミズムについて、私は主にアメリカ文学に依拠しながら考察してきました。とりわけ、ライフワークにしている20世紀作家ジョン・スタインベック(John Steinbeck、1902-68)の文学研究を中心に据えて「アメリカ人とは何か」というアイデンティティの問題を追求し、さらに現在は、アジアからの移民が多く住むアメリカ西海岸の歴史文化へと研究対象を広げてローカルな目線でもエスニシティの行方に注目しています。

block_38085_01_m アメリカ文化の活力は、「幸福」を求める移民たちの物理的あるいは精神的レベルの「移動」による異質なるものとの接触から生み出されるという見方に立ち、アメリカにおけるフロンティア精神の有り様を共編著『アメリカがわかるアメリカ文化の構図』(1996)および『英語文化フォーラム─異文化を読む』(2002)の中で概説しました。また、アメリカが抱える様々な困難や危機的状況に対してアメリカ文学がいかなる力を発揮してきたかについて、共著『21世紀から見るアメリカ文学史─アメリカニズムの変容』(2003)において「危機の文学」としてまとめました。
 スタインベックは、その名が示すように父方の祖先はドイツ系で、一方の母方はアイルランド系の「ヨーロッパ系アメリカ白人」ですが、いずれの民族もアメリカへの移住時やその後のある時点において人種差別を受けた記憶を持っています。そこで私は、合衆国建国の理念である「自由」と「平等」の精神に反する現実の「差別」に対する作者の想像力に照準を合わせ、共編著『スタインベックを読みなおす』(2001)の中で多様な民族のアイデンティティの在り処を考察しました。さらに研究活動の一環として作品の翻訳も手がけ、『スタインベック全集』全20巻の第1巻(2001)で長編小説第一作『黄金の杯』(1929)を共訳し、また2005年に日本で開催した国際学会の実施責任者(事務局長)として、後日、発表者たちの英文原稿を編集したJohn Steinbeck: Global Frameworks(2007)を世に問いました。

研究の特色

 私の研究の土台はアメリカ文学・文化研究および関連の学会活動を通じて築かれてきたのですが、研究テーマは、固定化せず、時代や社会の変化に応じて柔軟に考えるように心がけています。とりわけ、アメリカ文学はアメリカ社会の発展とともに育まれたところが大きいので、総じて社会性を帯びたものとなっています。従って研究する側も、興味や成長の度合いに応じて、例えば「文明/自然」、「マジョリティ/マイノリティ」、「中心部/周辺部」、「権力/反権力」、「戦争/平和」といった古くて新しいテーマに、今日的な視点から自由に切り込めるのが特色だと言えます。さらに、アメリカ的な実証主義精神を自らも発揮して現地の自然や文化を直接体感することによって、研究を深め、裾野を広げることにもなります。

研究の魅力

 文学・文化研究の基本は対象とする作品などの精緻な読みと深い洞察力にあることはもちろんですが、それだけでは足りません。先行研究を踏まえ、作者の経歴や対象物の歴史そして関係する様々な資料にも目を通し、さらに「研究の特色」とも重なるのですが、現地調査を行って未発表の資料などを発掘する努力や地域の歴史・文化風土に触れてみることも有益だと思います。そのような地道な作業から、ステレオタイプのものでない、独自のテーマに行き当たること、併せてその研究過程や成果を通じて、自他の地域文化の発展に貢献できることが最大の魅力です。

研究の展望

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日系人強制収容所跡地に建つ「慰霊塔」(カリフォルニア州オーエンズ・ヴァリー)

 現在は、スタインベック文学研究の延長として、多様な民族のエスニシティがぶつかり地政学上も重要なアメリカ西海岸・カリフォルニア地域の文化研究を通して「アメリカ人」のアイデンティティの行方を考察しているところです。とりわけ、太平洋戦争を転機とする日系アメリカ人の文化活動を研究対象に加えることによって、文学と文化をつなぐ「記憶と癒しのトポス」という新たな視界が開けてきました。

 

 

 

この研究を志望する方へ

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ステート・フェア(カリフォルニア州サクラメント)でカリグラフィー指導を通じた日米文化交流

 アメリカ文学を含めて広くアメリカ文化を研究対象にしたいと考えている方は、一般的な文化史や文学史を通読し、あるいは異文化体験を通じて、まずは自分が興味を持てそうな個別の作家・芸術家やその作品、あるいは文化的事象に様々な方法で実際にアプローチしてみることをお勧めします。そこから人類共通あるいはアメリカ的な観点、または日米比較の視点などに基づいて、何らかの問題意識を持ち、自分なりの研究課題を見つけられればしめたものです。目標に向かって大いなる忍耐心とそこそこの冒険心、そして少しばかりの健全なる遊び心を持って研究に取り組めば、その先にゴールは見えて来るはずです。