19世紀末のグローバル化とナショナリズム

中川講師の写真です 近年、情報通信技術の発達に伴う社会経済の全地球化−いわゆるグローバル化の進展に伴い、私たちが暮らす日本社会をはじめとする世界各地で、ナショナリズムの主張が声高に発され、大きな力を持つようになってきました。
 近代以降の社会に特有のナショナリズムという現象は、政治や経済だけではなく、個人や集団の心性(メンタリティ)にも関係する多様な側面を持っており、一概に定義することはできません。一方で、ナショナリズムは私たちの社会生活に大きく関わるため、政治学や社会学をはじめとする様々な学問的見地から研究が進められています。
 私の専門である歴史学は、過去の諸事実間に存在する関係とその変化について、誰もが参照しうる史料に基づき(事実立脚性)、誰にでも理解できる筋道だった解釈(論理整合性)をおこなう学問です。歴史学の方法は、曖昧模糊として捉えどころがないものの確実に存在し、政治的意思決定にも強い影響力を持つナショナリズムという現象について、しっかりとした「事実」に依拠し「時期区分」を明確にした議論をおこなうことで、人びとが認識を共有するための大きな武器になると考えています。

研究の特色

著書「明治日本の国粋主義思想とアジア」表紙の写真です

 これまでは明治期、とりわけ1890年代に時期を絞ってナショナリズムの形成過程を研究してきました。2016年には、その成果を拙著『明治日本の国粋主義思想とアジア』(吉川弘文館)として公刊しました。
 なぜ1890年代が重要なのでしょうか。幕末開国以来の日本社会は、電信網や汽船による大陸間航路、また大陸横断鉄道といった情報通信・交通技術の進展により形成された地球規模の市場(マーケット)へ参入することになりました。このようないわば19世紀末のグローバル化状況に曝された人びとは、公務や留学、貿易、漁業、移民といった様々な契機で世界へ飛び出し、それまで自分が暮らしていた場所とは異なる社会制度や風俗をもつ社会を「体験」します。旅券(パスポート)の発給数と渡航先を確認すると、1890年代はその数と範囲が大きく拡大する時期に当たっていたことが判明します。
 さらにはこの時期、海外へ行く機会を持たなかった人びとも、世界を体験した彼らが新聞雑誌や演説、講演会といったメディアを用いて発信した「経験」に触れることで、世界像を形成・更新していきました。世界をどのように見るか(他者像の構築)ということは、自分や自分が所属する集団をどのように見るか(自己像の構築)と表裏一体の関係にあります。
 まさに1880年代末から90年代にかけて、政教社に集った志賀重昂(しがしげたか)や三宅雪嶺(みやけせつれい)たち、また日本新聞社を拠点とした陸羯南(くがかつなん)といった青年知識人が、「国粋主義」「国民主義」を掲げて近代日本ではじめてのナショナリズム運動を起こします。彼らは1891年にアジア情報を共有する場として東邦協会を組織しますが、私はこのような1890年代「国粋主義」の思想形成を、人びとのアジア体験やメディアによるアジア情報流通との関わりのなかで明らかにしてきました。

研究の魅力

 先にも触れたように、過去を扱う歴史学の営みは私たちの生きる現代社会が抱える諸課題と切れたところにあるのではなく、むしろ積極的にそれらと関与し、解きほぐすための方法の一つです。ただし、事実の探求と解釈にあたっては、過去を過去として捉えその内在的な文脈を確定するためにも、現代的諸関心から一端離れ、史料が語る声に注意深く耳を傾ける必要があります。史料をひたすら読みこむという禁欲的な作業のなかから、これまで見いだされたことのない一筋の論理、ばらばらの事実の間のつながりが見えてくる瞬間が、歴史学−日本史研究の喜びであり魅力であると私は考えています。

今後の展望

 瀬戸内沿岸地域という「地方」に軸足を置いた近現代史研究を目指しています。念頭にあるのは、「世界は「地方」からできてる」(長田弘・高畠通敏・鶴見俊輔『日本人の世界地図』1978年)ということばであり、「ローカルな空間」は「国境という壁を突き抜けて直接にリージョンやグローバルな空間に向けて開かれている」(山室信一『アジアびとの風姿』2017年)といった指摘です。
 具体的には、19世紀末のグローバル化に基因する「地方」の衰退を主体的に受け止め、愛媛・今治や徳島・上板から食塩や砂糖といった特産品輸出を主軸にアジア地域への商業進出を図った実業家たちの軌跡を追跡しています。「愛郷心」に基づく彼らの行動が、いかなるアジア情報により動機づけられ、どのようなアジア像を結び、その結果いかに「愛国心」を形成していくのか。グローバル化への対応や地方創生が喧伝される現在の日本社会ですが、そのような潮流に批判的に棹さしつつ、必ずしもグローバル・ヒストリーには回収されない「地方」発の歴史像を描きたいと念願しています。

 

この研究を志望する方へ

 歴史学は、どのような価値観に基づく問題関心であれ受け入れ可能な、その意味では参入障壁の低い「ゆるやかでソフトな学問」(遅塚忠躬『史学概論』2010年)です。事実立脚性と論理整合性というルールさえ踏まえて過去に分け入れば、一つの事実にも多様な見方が存在し、それを意味づける価値観もまた多様であることが理解されるはずです。
 現代ほど、異なる多様な価値を認める寛容な姿勢、広く開かれた議論を行う能力が求められている時代はありません。愛媛大学は、古代・中世・近世・近現代とバランスのとれた日本史の学びの機会を提供しています。日本史は決して即効性のあるスマートな学問ではありませんが、泥臭い調べ物や史料読解が苦にならない性分の方は、是非とも一緒に学んでいきましょう。

ゼミ学生との現地調査の写真です

ゼミ学生との現地調査(今治・芸予要塞跡)

研究者プロフィール