共犯体系からの脱却

 わが国の刑法典は、共犯体系を採用しており、複数人が犯罪に関与した場合、共同正犯と狭義の共犯(教唆犯・従犯)に区別されます。そこで問題となるのが、「正犯と狭義の共犯を区別する基準は何か」です。形式的な実行行為(殺人罪であれば殺害する行為)を行った者が正犯であるとすれば、正犯の背後にいて犯行を指示した者は教唆犯となるでしょう。
 しかし、わが国の裁判実務は、共謀共同正犯を認め、形式的な実行行為を行っていない背後者についても、その正犯性を肯定してきました。そこでは、正犯性を判断するための「多様な要素」の総合判断によって、正犯と狭義の共犯の区別を行ってきたのです。「多様な要素」には、被告人と実行行為者との関係、被告人が行った具体的な行為ないし役割、犯行前後の利益の帰属などが含まれます。たとえば、背後者の地位が非常に高く、その高い地位に基づいて指示・命令をし、実行行為者がある犯罪を実行した結果、その犯罪によって得た利益が背後者に帰属したということであれば、背後者は単に人をそそのかして犯罪を実行させた者ではなく、一緒に犯罪を行った者として評価され、共謀共同正犯となるでしょう。

最高裁判所判例解説

大切な「最高裁判所判例解説 刑事篇」

 ところで、共犯体系においては、正犯と狭義の共犯との間に犯罪論体系上の差があると考えられますが、両者は何が違うのでしょうか。違法性の量的差でしょうか、それとも、責任の量的差でしょうか。この問題を、裁判例が採用する「多様な要素」の総合判断に当てはめてみると、「多様な要素」の中には、違法性の量的差や責任の量的差と関係のない要素も含まれているのではないかという疑いがあります。すなわち、本当なら(理論的には)区別できないはずなのに、区別できることにしてしまっている疑いがあるのです。
 以前から、実務と理論の架橋が叫ばれていますが、共犯体系を維持する現行刑法典を前提に、裁判実務のような正犯と狭義の共犯の区別を行う場合、「多様な要素」の犯罪論体系上の位置づけを明らかにする必要があるでしょう。もし、犯罪論体系上の位置づけが難しいのであれば、「多様な要素」はその位置づけが可能な要素に限定されるべきなのです。

研究の特色

バイブル

写真:松澤伸「機能主義刑法学の理論」(信山社、2001年) この本は、自由を知るためのバイブルです。

 私は、研究にあたって、実務と理論の架橋を常に意識しています。それゆえ、「現に行われている法(判決を通じて現れる裁判官のイデオロギー)」の記述が重要であると考えています。裁判官が、どのような理論によって「多様な要素」の総合判断を行っているかを明らかにする必要があるのです。そして、「現に行われている法」を記述することもまた、法解釈学の任務であると考えています(条文の解釈だけにとどまらない)。そのような視点もふまえつつ、裁判実務に現れる「多様な要素」の犯罪論体系上の位置づけを研究しているのです。

 

 

 

研究の魅力

 共犯論は「暗黒の章(絶望の章)」と言われています。正犯と狭義の共犯の区別論についてさえ、学説の対立は激しいのですが、そのほかにも共犯論にはたくさんの問題があります。理論的思考によって、それら諸問題を統一的に解決しようというのは、非常に困難を伴う作業です。さらに、「現に行われている法」の視点を加えると、越えなければならない山はとても大きなものとなります。そして、刑法学は、共犯論だけではありません。しかし、私は、そういうところに「やりがい」を感じているのだと思います。暗黒だけれど「Just Do It !!」の精神で研究しています。

研究の展望 

共犯体系を採用する現行刑法典ですが、裁判官の思考は、統一的正犯体系(犯罪に関与した者はみな正犯となる)へ無意識的に進行している、という先行研究があります。すなわち、実務と現行刑法典との間に溝ができてしまっているということです。そのような実務がおかしいのか、現行刑法典がおかしいのか、判断が難しいところですが、立法論として統一的正犯体系の採用はありうると考えています。すでに、統一的正犯に関する研究を進めているところです。

この研究を志望する方へ

知力より体力で勝負

 

「知力より体力で勝負」でもいい。「Just Do It !!」

 高校生の方は、これまでの話を難しいと感じたかもしれません。社会問題としての犯罪について研究したいと考えたとき、「刑法」という学問からアプローチするのであれば、難しい議論(理論的検討)は避けて通ることはできません。私は共犯論を研究していますが、そのほかにも、因果関係論、不作為犯論、故意論、過失論…、研究テーマはたくさんあります。どの山も非常に険しいものですが、この研究を志望するのであれば、「Just Do It !!」の精神で挑んでみてください。皆さんにお会いできること、また、ともに研究できることを楽しみにしています。