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HISTORY 〜医学系研究科看護学専攻 中村 慶子 教授〜

平成26年3月末退職の医学系研究科看護学専攻 中村 慶子 教授から大学での思い出を寄せていただきました。

昭和51年4月、新しい日々はとても寒い春からの始まりでした

 block_57496_01_M平成26年3月は、私にとってひとつの区切りの時になりました。そして、愛媛大学の職員として39回目の春を迎えます。本当に長い間、皆様にはお世話になりました。昭和51年4月、できたばかりの病院の新しい建物の部屋は熱が奪われて寒く、5月の終わりころまで冬衣装が必要だったことを思い出しております。看護婦宿舎から病院までの道でも靴が泥で汚れてしまう状況でした。細くて不安定であったキャンパスの木々も、根を張り小さな森を作るまでになりました。長い年月は、確実に経過しています。私の重信キャンパスでの年月は、夜勤婦長を挟んで17年間の4階東(小児科)病棟婦長、1年間の副看護部長、そして、看護学科教員としての20年間でした。
 その間、私は、自らの方向性を変化させる3つの仕事に出会いました。まず、愛媛大学医学部附属病院の創設と婦長という仕事、オーダリングシステム導入という病院運営システムの構造化、そして、看護学科の創設です。これらの仕事は、ゼロからの仕事ではなく、すでに多くの方々の努力の上に築かれていたもので、示された道筋があり目標が設定されたものでした。今、目の前にあることを正確に確実に、誠実に安全に、熱意をもって進めることが求められる役割でした。常に、精一杯で、一生懸命な日々であったと思っています。特に、病院で経験したことだけが財産であった私にとって、看護学科教員への異動と職務は、また別の価値観が求められ、まったく新人としての毎日であり、結構厳しい日々もありました。しかし、今、惜別の辞を述べる機会を頂いて振り返ると、温かい充足感を感じることができております。きっと幸せな年月であったのでしょう。
 平成6年、看護学科創設のころから、医療のシステムが大きく変化してきたと思います。
 チームとしての医療の必要性が本格化し、その中で看護に求められるものが拡大した時代でした。そして、医療の質が評価される要因に、看護師の質的な向上が求められ、看護学教育の大学化が急展開していきました。4制国立大学としては四国で初めて誕生した愛媛大学医学部看護学科で、能力の高い学生と共に学ぶ日々は刺激的でした。平成26年3月には1100名を超える卒業生を送り出します。愛媛県に限らず全国、海外でも活躍する卒業生のこれからに大きな期待を抱いています。
 昨年、創立40周年を迎えた医学部記念式典に参列して、昭和51年10月の開院式の日のどこまでも青い空と、テープカットの紅白のリボン、小林譲病院長と岡本恒美看護部長の姿を思い出しました。私もいつか、看護学科の創設が語られる時には、看護学科棟前の桜とともに思い出してもらえる存在になるのでしょうか。そうであればうれしいですね。
 本当に長い間、ありがとうございました。愛媛大学に育てられ、愛媛大学に守られてまいりました。これからの愛媛大学と、そこにかかわる人々の御発展を心から願っております。