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お知らせ

インドネシア訪問報告平成19年10月13〜21日 副学長(総務担当) 亀井 崇 経営企画部総務課長 米澤愼二

◆ はじめに ◆◆◆

  本学は,国際戦略として,東南アジア・南アジア地域における大学との学術交流を推進し,平成19年度から本学独自の制度として,同地域における防災科学研究者及び環境科学研究者等を養成することを目的に月額10万円の範囲内で奨学金を支給する「大学院特別コース留学生」制度を立ち上げ,同地区の留学生を積極的に受け入れています。今回,本学と協定を締結しているインドネシア共和国ハサヌディン大学,ゴロンタロ大学,ガジャマダ大学を小松学長が訪問し,本学と各大学との交流推進の具体化に向けた打合せを行ってきました。
  各協定大学とも教員,研究者の交流や学生の留学先を日本に求めており,本学に対しても一層の学術交流,学生交流の推進を希望していました。特に,ゴロンタロ大学は,設立後間もない新しい大学であること,2010年に法人化すること等があり,教員の質の向上を緊急的課題と位置付け,協定締結先である本学への期待は大きいと感じました。
  今回の訪問は,私にとって国際交流の大切さを肌で感じた経験となったので,10日間のインドネシア訪問報告を作成しました。学長随行日記としてご覧いただければと思います。

◆ 概 要 ◆◆◆

【訪問先】
  インドネシア共和国 ハサヌディン大学,ゴロンタロ大学,ガジャマダ大学

【目 的】
  インドネシアの協定校であるゴロンタロ大学,ハサヌディン大学,ガジャマダ大学を訪問し,協力体制の推進に係る方策の具体化に向けた打合せを行う。
  このことにより,両大学の関係をより友好的,協力的なものとし,教育・研究等今後の交流の進展を図る。

【参加者】  小松学長(奥様随行),亀井副学長,遅澤農学部准教授,米澤経営企画部総務課長

【インドネシア共和国】
 1.インドネシア共和国(Republic of Indonesia)の特徴 ※外務省HPより抜粋
(1) 国土1945年8月17日,インドネシア独立宣言。初代大統領はスカルノ。面積約189.08万平方キロメートル(日本の約5倍)。約18,000の島々からなる世界最大の島嶼国家。東西約5,110キロメートル(米国の東西両海岸間の距離に匹敵),南北約1,888キロメートル(赤道を挟む)に及ぶ。
(2) 人口,種族約2.17億人(2004年)。中国,インド,米国に次いで世界第4位の人口。大半がマレー系(ジャワ,スンダ等27種族に大別される)。中国系は約3%。総人口の約6割が,全国土面積の約7%に過ぎないジャワ島に集中している。
(3) 宗教イスラム教87.1%,キリスト教8.8%,ヒンズー教2.0%他。世界最大のイスラム人口を有するが,イスラム教は国教ではない。
(4) 国家政体共和制の下,33州から構成。国家元首は大統領(大統領は,国家元首であると共に行政府の長でもある)。現大統領は,第6代スシロ・バンバン・ユドヨノ(任期は2009年10月まで)。

 2.最近の内政・社会動向
(1) 2004年4月の総選挙において,スハルト旧政権時代の与党であるゴルカル党が得票率21.6%で第1党,メガワティ大統領(当時)率いる闘争民主党が18.6%で第2党となった。また,同年7月には大統領選挙が行われ,ユドヨノ候補(陸軍・東ジャワ出身,56歳)が約6割の票を獲得当選し,10月20日,第6代大統領に就任した。
(2) 同年12月にユスフ・カッラ副大統領が議会第1党ゴルカル党の総裁に選出されたことで,政権に安定感が増すこととなった。
(3) ユドヨノ大統領は政権発足にあたり,平和と安全,公正と民主,福祉の向上を政策の3つの柱として掲げた。2004年以降,スマトラ沖地震・津波災害,石油価格高騰,鳥インフルエンザ,バリ島テロ事件,ジャワ島中部地震など相次ぐ危機への対応に追われる中,投資促進,貧困削減等の課題についても取組を進めている。
(4) 2004年12月26日に起こったスマトラ沖地震では,アチェ及び北スマトラにおいて16万人を超える死者・行方不明者が出た。
(5) 2006年5月27日に起こったジャワ島中部地震では,ジョグジャカルタ特別州及び中部ジャワ州において,5千人を超える死者,4万人に近い負傷者等が出た。
(6) 鳥インフルエンザに関し,2005年7月に鳥インフルエンザ感染による初のヒト死亡例が確認されて以来,国内での被害は拡大傾向にあり,人への感染については,インドネシア保健省によれば,2007年月5月7日現在,感染例95件,うち死亡例75件が確認されている。また,WHOは,北スマトラ州において「ヒトからヒトへ」の感染があった旨報告している。

◆ 訪問報告 ◆◆◆ 

【平成19年10月13日(土)】 松山〜関空〜デンパサール
【平成19年10月14日(日)】 デンパサール〜マカッサール
ハサヌディン大学長と打合せ
マカッサール〜ゴロンタロ
【平成19年10月15日(月)】 ゴロンタロ大学訪問
マリンステーション設置予定地視察
【平成19年10月16日(火)】 Bogani Nani Wartabone国立公園視察
ゴロンタロ大学附属幼稚園視察
ゴロンタロ大学ラジオ出演
【平成19年10月17日(水)】 ゴロンタロ〜マカッサール
在マカッサール日本総領事館訪問
チンタ・ラウト号にハサヌディン大学関係者招待
ハサヌディン大学関係者を招待して夕食会
【平成19年10月18日(木)】 チンタ・ラウト号にてハサヌディン大学関係者と
Spermonde Islands諸島視察
ハサヌディン大学構内視察
各部局長との今後の協力体制について協議
マカッサール〜ジョグジャカルタ
【平成19年10月19日(金)】 地質サイトSouth part of Yogyakarta 視察
ガジャマダ大学関係者,元留学生を招待して夕食会
【平成19年10月20日(土)】 ガジャマダ大学訪問
ジョグジャカルタ〜デンパサール
【平成19年10月21日(日)】 デンパサール〜関空〜松山

平成19年10月13日(土)

 晴れ、松山空港から関西空港へ向けて出発。海外で使用可能な携帯電話をレンタルしたものの、使用方法がわからないため、関西空港のドコモ店で確認したが、慌てていたため、インドネシア入国時に必要な入国税($25)の換金を忘れてしまった。事前の準備不足を痛感。

  予定どおりデンパサール空港に到着、入国審査時に入国税$25相当を遅澤先生にインドネシアルピアで借用。空港を出るとインドネシア国内の飛行機、ホテルなどを手配してくれたエージェントの大木まきこさんが我々を出迎えてくれた。
  遅澤先生には聞いていたが、大木さんからも、インドネシアはラマダーンの断食明けの休暇(日本の正月に相当)に入っているので、多くの人は帰省しており、バリ島も人が少ないとの説明があった。デンパサール空港から借り上げていた車(1日RP250,000/約3,000円。安心・安全のためには、借り上げを推奨する。)に便乗して、宿泊先のナタ・バレホテルに向かった。一般道路であるのにもかかわらず、信号機が少なく、車はかなりのスピードを出していた。バイクも予想していたより多く、日本であれば、車、バイクともスピード違反であることは間違いない。大木さん曰く、車の免許は申請と簡単な試験だけで取得できるので、日本のような教習所はないそうである。スピード違反で捕まることはあまりなく、目で確認できる一時停止違反などの取り締まりが中心だそうだ。

  道路脇では、ガソリン2〜3Lを瓶詰めで売っていた。バイクが多く走っているが、ガス欠になることが多いため、道路脇で売っているとのことであった。
 バイクは自転車代わりであるため、幹線道路以外での使用は、ヘルメットを着用しておらず、お巡りさんの前をノーヘルメットで走るバイクを多く見た。
  道路は舗装整備されていたが、道路横を見ると大量のゴミが放置されている状態であった。ゴミの問題は、後に、インドネシアの訪問先で考えさせられることとなる。
  換金後、サヌール海岸(バリ島屈指のビーチリゾート地)を望むレストランの砂浜で、学長夫妻、副学長、遅澤先生とともに遅い夕食(22時頃?)を取った。思えば、インドネシアでは、最初で最後の5人での食事であった。
  宿泊先のナタ・バレホテルは、中級の滞在型リゾートホテルらしく、コテージ風の建物が部屋となっており、自炊も可能なシステムになっていた。ホテル側は、蚊取り線香を部屋の入口、部屋の中、バス・トイレ(オープン型)に置いてくれたが、夜中に蚊の飛ぶ音で何度か目覚めた。

平成19年10月14日(日)

 晴れ、早朝、ホテルの近くを散歩したが、野犬が多くいた。
 朝食はホテル内のレストランでナシゴレンをオーダー。卵2個の目玉焼きと言っていたが、残念、1個の目玉焼きであった。
ゴロンタロへ移動のため、まずはデンパサール空港に向かう。空港では、空港利用税がRp30,000とRp5,000の計Rp35,000(約460円)の支払いをしなければならなかった。国の税金と市の税金である。支払う窓口も別々で非効率的であるが、雇用の場を設けていると考えるとやむを得ないか。インドネシア国内では、すべての空港で、国の税金Rp30,000(約400円)が必要であった。
 デンパサールからゴロンタロ大学のあるゴロンタロ市へ移動するが、飛行機便がマカッサール経由となるため、マカッサールでハサヌディン大学学長公舎を訪問する。

  スラウエシ島マカッサール空港着、空港の手荷物受け取り場所にポーターがいた。このポーターは、空港内で手荷物を受け取り、車まで運ぶ仕事で、ゴロンタロ空港で1度だけ利用したが、1人Rp10,000(約150円)必要であった。高いか安いかは個人の判断であるが。マカッサール空港には、ハサヌディン大学のラザック教授夫妻と10月まで連大に留学していたAzizさんが通訳件案内として合流、自家用車2台でハサヌディン大学学長公舎に行く。デンパサールでも驚いたが、ここもバイクが多い。しかも、バイクは3人乗り、4人乗りをしていたバイクも見かけた。車・バイクの多さ、運転マナーの悪さ、それなのに一方通行が徹底され信号機が少ないことに驚かされた。
 また、水色のバンタイプの乗用車が多く走っていた。ビス・アンタルコタ(Bis Antarkota)と言われている乗り合いバスで、車体の横に書かれているラインで、運行場所が判別できるそうである。バス停は特になく、ある程度、自由に乗り降りが可能なシステムを取っている。乗車人数は10人程度と聞いたが、多くはスズキ、ホンダなどの日本製の車であり、日本での乗車定員は運転手を入れて最高8人までだと思う。乗車口のドアが見えなかったのだが・・・。 空港近辺の道路に色とりどりの旗が立っていた。旗のポールは竹であったが、旗は、インドネシアの各政党を表す旗であり、当然であるが、政党ごとに色が異なっているそうである。(知らないことが多すぎる自分は世間知らず。)
 
  ハサヌディン大学学長公舎到着、玄関を入ると30坪ぐらいの広さの応接室が2室と広いキッチンがあった。中央テーブルに果物、フルーツポンチ、ケーキ、ジュース、コーラと取り皿、コップが用意されていた。我々が公舎を訪れたときには他の客はいなかったが、ラマダーンの断食明けは親しい人やお世話になっている人を訪ねる風習があるらしく、学長公舎には、ハサヌディン大学関係者、州、市の役人風の方などが次々と訪れてきた。
  このため、イドラス・パトゥルーシ学長がゆっくり懇談をしたいとのことで、近くのレストランで昼食を兼ね今後の協力関係について協議することとなった。

■ハサヌディン大学の概要(協定締結日:平成19年4月6日)
・所在地:インドネシア共和国南スラウェシ州マカッサール市
・学 長:Prof.Dr.dr.Idrus A.Paturusi(イドゥルス・パトゥルーシ教授)
・概 要:東部インドネシア全体の中でも教育研究実績を有する基幹大学であり、12学部(経済、法律、医学、工学、文学、社会・政治、農学、理学、畜産、歯科、公衆衛生、海洋水産)を擁している。部局長等は日本の大学への留学経験者が多く、日本との学術交流を積極的に推進している。

 昼食を兼ねた懇談会には、パトゥルーシ学長、Dr.Dwia Aries Tina(ティナ)副学長はじめハサヌディン大学関係者が出席し、今後の留学生の受入などについて話し合った。特に、ハサヌディン大学の教員の育成のための受入を強く望んでいた。
 インドネシアに着いて、初めて地元の食事(ただし、この店は地元では中華料理店)であったが、エビ、かに、焼き魚、揚げ魚など、味付けを除けば、料理方法は日本と違いはなかった。私達のためにビールが出されたが、夕食を含め、食事の際アルコールが出されたのは、これが、最初で最後であった。
 打合せ後、市内見学を数カ所行う予定であったが、時間の都合でベンテン・ウジュン・パンダン(Benteng Ujung Pandang)のみの見学となった。ベンテン・ウジュン・パンダンは1545年にゴアの国王によって建造されたが、かつては海に面した要塞都市で、四辺形の高い石垣の隅に突起物があり亀のような形をしている。日本軍が駐留していたときも使用した施設で、日本軍が建築した建物も現存していた。昔は亀の首が海に突き出していたそうである。

  市内を移動中、路側で椰子の実が売られていたため、生の椰子の果汁を呑む。乾いた喉には良かったが、少し冷やして呑むとおいしいのではと感じた。市内見学を終え、マカッサール空港に向かう。インドネシアでは日本のように飛行機の時間が正確ではなく、この日も約80分遅れの出発となった。
 マカッサール空港で時間があったため、小松学長は足つぼマッサージを受けたが、Rp50,000との額に驚いた。しかし、日本円に換算すると約700円である。
 予定を大幅に遅れゴロンタロ空港に向けて機内に乗り込む。座席は最前列席であった。
 ゴロンタロ空港に到着後、最前席に座っていたため、一番にタラップを降りた。タラップを降りると、ゴロンタロ大学関係者が出迎えをしてくれた。タラップまで迎えに来ていることに驚いた。さらに、ゴロンタロ空港では、一般客とは異なるドーム型の建物から迎えの車に乗ったが、荷物の受け取りもゴロンタロ大学関係者が行うなど、考えられない待遇を受けた。ドーム型の建物はインドネシアの要人の写真が数枚掛けられており、我々が建物の外に出て車に乗り込むとすべての電気、照明が消された。我々のためだけに準備されたようだ。
 迎えの車のうち1台に学長夫妻・遅澤先生、もう1台に亀井副学長・米澤・アジズ、と、別々の車に乗り込み宿泊先のホテルに向かうが、車は両ウインカーを点滅させながら、ノンストップで一般道を高速で走った。

椰子の生ジュース

  ゴロンタロ大学のネルソン学長が、少し遠回りになるが、小松学長にグレートタワーを見せたいということで、そのタワーの下を車で走った。残念ながら、真っ暗だったため、高いタワーの下を走ったとの印象はなかった。ただ、回りは暗かったが、タワー自体には多くの照明が点けられていた。これも、歓迎の一つだろうか。ゴロンタロ市内のホテルに着いたのは夜の10時を回っていた。この時間からゴロンタロ大学関係者と遅い夕食を兼ね、明日からの日程調整を行った。

平成19年10月15日(月) ◎ゴロンタロ市滞在2日目

 朝、4時過ぎ、モスクで礼拝を行っている声が聞こえ目が覚める。イスラムでは、Fajr、Sunrise、Dhuhr、Asr、Maghrib、Ishaと1日に何度か礼拝を行うそうである。ゴロンタロの鶏も結構早起きである。4日間ゴロンタロに滞在したが、毎朝、2時頃にコケコッコー(表現は日本風)という鳴き声を聞いた。

■ゴロンタロ大学の概要(協定締結日:平成19年3月16日)
・所在地:インドネシア共和国ゴロンタロ州ゴロンタロ市
・学 長:Prof.Dr.Nelson Pomalingo(ネルソン・ポマリンゴ教授)
・概 要:2004年6月28日に設立された新しい大学でインドネシア共和国政府教育文化省が統括する国立大学である。6学部(教育学、社会学、理学、文学、工学、農学)からなり、学生数約1万5千人、教員538人であるが、博士の学位を有する教員は、38人と少なく、教員の育成が大きな課題となっている。このため、学術交流協定校の本学に対する期待は、予想以上に大きいところがある。

 ゴロンタロ大学でネルソン学長と会談。会談終了後、ゴロンタロ大学関係者との懇談会が開催されたが、ラマダーンの断食明けの休暇中にもかかわらず、各学部長、研究科長等50人程が会議室に集まっていただいていた。

 懇談会では、ゴロンタロ大学側の出席者紹介、愛媛大学側の紹介の後、今までは、農学部中心の交流であったが、教育学部など他学部の交流も促進してほしいとの要望が出された。

1) ネルソン学長の挨拶。愛媛大学との交流の経緯などが改めて紹介された。
2) 小松学長から、愛媛大学の取り組みを紹介。
3) その後の質疑で、農学関係だけでなく、両大学の全学的な交流を促進することが協議された。

 ゴロンタロ大学も2010年には法人化する予定であり、法人化前に大学の基盤を作りたいとネルソン学長は考えているようであった。会談終了後、小松学長とネルソン学長は地元テレビ局のインタビューを受けた。翌日にゴロンタロ州内に放送されると聞いたが、ホテルでテレビを見たが、確認することはできなかった。ちなみに、地元テレビ局は1局だけとのことである。ホテルでテレビを見ると、インドネシアの放送が数局、後は、日本でもおなじみの衛星放送が流れていた。

  インタビュー終了後、ゴロンタロ大学内の日本研究促進センターを視察したが、日本の資料などは、残念ながら十分なものとは言えなかった。愛媛大学のパンフレットもあったが、以前、ネルソン学長が愛媛大学を訪問した時の資料であった。小松学長は、日本研究促進センター長に対し、教育プログラム充実のための協力と愛媛大学から日本語を学ぶための資料を送付することを約束した。 日本研究促進センター視察後、ゴロンタロ大学のマリンステーション予定地(Olele村)に出発。ゴロンタロ市内から車で約1時間、狭い道路を走ったが、途中、牛、羊、鶏が放し飼いされていた。車の車幅のみ板が敷かれている橋を渡るなど、日本ではなかなかできない体験に、車中は結構楽しく過ごせた。

 Olele村に到着すると、村の子どもたちが竹で作った楽器と灯油缶のようなものを太鼓代わりにして、一行を出迎えてくれた。学長夫妻には花の首飾りが用意され村全体で歓迎してくれているようであった。
 到着後、レセプションが開催され、ネルソン学長、ゴロンタロ州の役人(名前は不明)からの歓迎とマリンステーション設置等について話があった。この時、Olele村の人たちやゴロンタロ大学関係者がテラスの下にテントを張って座っていた。
 小松学長もお礼の挨拶を行ったが、ネルソン学長が話した日本人の名前を交えた歓迎の挨拶に答えるように、少しユーモアがある挨拶であった。小松学長はテントの中にいた一般の皆さんの方を向いてスピーチしたが、後になって、このことが住民から高く評価されたと聞いた。

◆Marine Stationの見学(Olele村)

1) 今回の訪問は、ゴロンタロ大学が計画してきたMarine Stationの立ち上げを促進させた。ゴロンタロ州からの財政援助を受けて、用地買収などの準備が一気に実行されている。この日の愛媛大学の訪問は、Marine Stationの発足式を兼ねていた。
2) Marine Station周辺海域の見学および地質調査、Marine Stationの近距離の海域に見事な珊瑚礁が発達し、保全されていた。魚影も極めて濃い。

断層面を確認

 
★小松学長Pseudotachylite(シュードタキライト)の発見か!

 セレモニー終了後昼食を取り。マリンステーションのセンター建設予定地を視察。ネルソン学長の説明によると、椰子の木が植えられているところは民有地なので、つい最近、この民有地をゴロンタロ州が買収したそうである。
 予定では、その後、船でOlele村周辺の海域を視察する予定であったが、小松学長が乗船する直前に、正面に見える岩肌が気になると言い始め、船に乗るより、自分の専門である岩石を見たいと依頼し、乗船は取りやめ、結局、亀井副学長、遅澤先生がネルソン学長と船で出発し、小松学長は岩肌を調査することとなった。
 小松学長は、岩に近づくなり「これは断層だ」と言い、屈んでその断層面を見るなり、「これはシュードタキライトか調べる必要がある。」残念ながら、随行していたゴロンタロ大学関係者にはGeology分野の専門家がおらず、小松学長の(少し)興奮した様子は理解してはもらえなかったと思う。岩石の標本を採取したかったが、ハンマーもなく、石で少し削り取ったものを持ち帰ることとなった。

Marine Stationが見える断層面

 その頃、遅澤先生は、水着も持っていないのに、あまりの海の綺麗さに海中探索を行ったそうである。先生の話では、すばらしい珊瑚があり、魚も豊富だと、こちらも少し興奮をしていたが、これも、ゴロンタロ大学関係者に理解していただけたかは不明である。Olele村を後にして、ゴロンタロ州庁舎に到着、州庁舎は、ゴロンタロ市を一望できる高台に最近建築された建物であった。ラマダーンの断食明けの休暇中ということもあって業務は行われてはいなかったが、なぜ、こんな高台に建築したかは不明であった。ネルソン学長は州庁舎からゴロンタロ市を見下ろし、「近々、ゴロンタロ大学が移転することとなっている。現在の場所から約8km離れている。」との説明があった。小松学長から大学を移転することに反対はないかと尋ねたところ、大学が移転することによって、そこに新たな生活圏が完成する。反対する人はいないとの返事があった。
 

夕食会

  ホテルに帰り、榊原先生にインドネシアのシュードタキライトについて調べてもらうよう依頼したが、詳しいことはわからなかった。小松学長は、今後、詳しく調査する必要があると言っていた。
 ゴロンタロ大学関係者と夕食に出かけるが、ここでもアルコールは無し。店のなかには蚊が飛んでいたため、電池式のベープマットが活躍した。ホテルに帰り、学長の部屋で缶ビールを2本飲む。非常においしかった。

平成19年10月16日(火) ◎ゴロンタロ市滞在3日目

 ゴロンタロ大学関係者とBogani Nani Wartabone国立公園視察に向かう。途中、ガソリンスタンドの給油待ちによる車渋滞にあった。給油待ちの主な車はビス・アンタルコタ(Bis Antarkota)といわれるバンタイプの小型バスと三輪オートバイ(バジャイ)であり、長い列を作っていた。OPEC(石油輸出国機構)に加盟する産油国でもあるが、給油所は少ないとのことであった。
 この給油渋滞に巻き込まれたのは、ゴロンタロ大学関係者が乗り込んだ中型バスである。困ったことに、Bogani Nani Wartabone国立公園への道を正確に知っているのはバスの運転手だけで、学長夫妻、亀井副学長・米澤が乗った車は渋滞を避けるため脇道を抜けたが、バスがこないため30分ばかり脇道で待機することとなった。
 この日は、もう一つハプニングがあった。遅澤先生が国立公園の視察に行く前にゴロンタロ大学関係者とホテルで打合せを行ったが、出発前にコーヒーを一杯。
 その後、学長夫妻、亀井副学長・米澤の4人はそれぞれ車に乗り、国立公園に向かったが、遅澤先生はゴロンタロ大学関係者に忘れられ、ホテルで慌てたそうだ。何とか、ゴロンタロ大学関係者に連絡をし、国立公園入口に行ってみたが、誰も到着していないとのことで、色々探し回っていたそうである。
  小松学長夫妻はバスを待っている時、車から降りられ、路地を入り、地元の人と話をしたそうで、親切な地元の人が井戸水をくみ上げ、水でトイレを流す実演や、まだ、熟れていない果実を食べさせてくれたりしたそうである。

 Bogani Nani Wartabone国立公園に到着し、日本から持参した蚊取り線香を腰にぶら下げて国立公園内を視察したが、自然林の中を登り、川を渡るなど結構ハードな視察となった。歩き始めて30分程度したところで、休憩を取ったが、休憩場所にハマダラカを見つけたため、念のため、学長夫妻、亀井副学長、米澤は虫さされスプレーを再度体に塗った。
 休憩場所で驚いたことがある。ゴロンタロ大学関係者で2人ほど、裸足で歩いている人がいた。確かに、途中で川があり濡れたこともあるが驚きだ。私達が蚊取り線香に虫除けスプレー、長袖、長ズボン完全装備であるのに対し・・・ただ、マラリアに対する免疫はほとんどの人が持っているそうだとの話を聞いて、安心はしたが・・・。
 私達を捜していて遅れたそうだが、休憩場所に遅澤先生が遅れて到着。
 案内役の国立公園管理官が、休憩時間を利用して、国立公園内の植物や鳥などの説明をしてくれた。樹齢などを訪ねると、それは不明であるとの答えが返ってきた。今後、そうした研究を行うことが重要になるとの話があった。

 休憩後、さらに公園内の奥へ進み視察を終了した。片道約1時間10分、全体で約3時間の視察であった。国立公園の出口で、遅澤先生からサゴヤシの活用について説明があった。サゴヤシは東南アジアから南太平洋にかけた南北10度の広範な熱帯低湿地帯、多少の塩水でも生育できる数少ない植物で、約10年で樹幹にデンプンを蓄えるため、昔から現地の人に取っては、貴重な食料源となっていた。今、サゴヤシ栽培を計画的に行う計画があるとのことであった。

附属幼稚園

 昼食を取りホテルで休憩後、ゴロンタロ大学附属幼稚園を視察。ネルソン学長夫妻が案内してくれたが、幼稚園に着くと園児4人が民族衣装を着て、踊りを披露してくれた。4〜5歳児だと思うが、愛らしくかわいい踊りであった。幼稚園の先生に聞いた話では、ラマダーンの断食明けの休暇中であったため、練習は2日間しかしていないとのことであった。
 附属幼稚園は、3歳児〜6歳児が対象ということで、幼稚園に入学すれば、ほとんど大学まで進学すると説明があった。各教室を案内してもらったが、先生方の手作りの教材など、日本の幼稚園と変わらないと感じた。途中、ネルソン学長夫人が、五輪真弓の「心の友」を歌ってくれるなど、楽しいひとときを過ごすことができた。

 小松学長、亀井副学長、遅澤先生が今後の協力体制について協議をおこなうため、ゴロンタロ大学を訪問。ゴロンタロ大学側は、ネルソン学長はじめ副学長、全学部長、学科長が出席していた。

◆10月16日研究教育協力についてのフォローアップ。
 学長、副学長以下、全学部長、全学科長等が出席。
1) 遅澤から、今までのゴロンタロ大学からの留学申請の問題などが指摘され、CPJSの改善案が提示された。
2) また、遅澤はゴロンタロ大学の研究戦略として、ゴロンタロの自然生態の把握を目的とする基礎研究の充実を訴えた。動・植物の分類、昆虫学、地質学、民俗誌、農林水産業史などを組み合わせた共同研究。
3) Ramli Utina理学部長を中心に活断層の調査チームを組織し、調査を実施する。ゴロンタロのPseudotachyliteの分布を記載する論文を作成する。

◆10月16日16:30からのフォーラム
 学長、副学長以下、全学部長、全学科長等の出席、多数の学生の参加あり。
1) 小松学長から、Marine Stationの見学(Olele村)、Bogani Nani Wartabone国立公園の見学を踏まえて、Environmental Geology分野の設立が提案され、ネルソン学長等の了解が得られた。
2) Aziz Salam(この9月に連合農学研究科修了、UNGの教官に採用)より、ゴロンタロ大学の国際戦略のあり方が提案された。ならびに若手教官・学生による研究会の発足が提案された。
3) 遅澤から、再度、Ramli Utina理学部長を中心に、小松学長が発見したPseudotachyliteの継続調査を実施し、学術誌に投稿するように要請した。
*Environmental Geology分野の立ち上げのための専門家派遣
*愛媛大学の地質研究室の院生をゴロンタロ大学への長期留学生の派遣する準備に着手する
*ハサヌディン大学、ガジャマダ大学へも、ゴロンタロ大学のこの分野開設に向けての協力を要請する。

 夕方、小松学長夫妻、遅澤先生がゴロンタロ大学のラジオ番組に出演した。出演時間は19:15〜20:00であったが、その内容は次のとおり(司会:INDRI AFRIANI YASIN)。

司会: ゴロンタロ市の第一印象はどうですか?
小松学長: ゆったりとした、豊かな町という印象を受けました。
司会: 奥様はどうですが?
奥様: きれい好きで、各家庭の花も綺麗に手入れされている。
小松学長:
自然が豊かで、山も海も豊かな緑を育んでいる。ヤギ・牛など畜産業も水産業も盛ん。とにかく豊かな自然の中で過ごしている。
※ここで、五輪真弓の「心の友」が流れる。ネルソン学長が放送室に入る。
司会: (ネルソン学長に)愛媛大学との交流はどのように考えていますか?
ネルソン学長: 愛媛大学とは学術交流協定を結び学生交流、教員の交流を行うこととしている。また、大学間だけでなく姉妹都市を結ぶことなども検討していきたいと考えている。
小松学長: ゴロンタロ大学は、地域貢献、国際貢献を目指している。インドネシアは日本と同じように地震国であるとの共通点も多い。これからは、ヨーロッパの時代ではなく、アジアの時代である。しかし、厳しい自然や環境問題がある。状況は異なっているが、協力して行く必要がある。
ネルソン学長: 両大学がいい方向に進んだらいい。海とか森林とかの研究が協同で実施できる。ゴロンタロ大学も2010年には法人化されるので、愛媛大学に学ぶことが多く交流を進めたい。
小松学長: 姉妹都市については、もっと大学間の交流を盛んにする努力をし、それで、下地を作る必要がある。愛媛大学は愛媛にとって重要であり、ゴロンタロ大学も重要である。5年、10年とかかることであるが、努力する必要がある。
司会: 奥様は訪問して如何でしたか?
奥様: 私は小松のホームドクターです。今日、幼稚園を訪問しましたが、子どもたちが頑張って覚えて踊ってくれ、先生も必死に教えたことが、よく伝わってきました。幼稚園を出る車の中で感激して涙がでました。本当にありがとうございました。
司会: 遅澤先生は?
遅澤先生: ラブラブ(昼食で呑んだジュースで、日本語表記するとダァヴダァヴとするのが正解かも)が一番おいしかったです。後、暑いですね。
司会: 町はどうですか?
小松学長: バジャイ(三輪オートバイ)が多いが、今以上に車社会になり、モータリーゼーションが進むと思う。これからは、CO2が問題になる。CO2を排出しない車を作ることがインドネシアでも課題になる。
司会: ゴロンタロ大学に対する期待は?
小松学長: 調和をとるためには、教育が必要。学生を育てるためには、教員が良くなければならない。社会を良くするためにも教育は大切です。愛媛大学と一緒にいい教員を育てることが、いい教育に繋がると思います。
ネルソン学長: 教員の質を高めることが必要。そうしないと、いい学生が育たない。そのためにも国際交流を推進していきたい。ゴロンタロ市は地震も多いので、Geology分野を設立したい。それには、住民の皆さまや政府の支援が必要です。よろしくお願いします。
司会: ありがとうございました。(最後にキロロの歌をお聴きください。)

  ラジオ出演終了後、さよならパーティーが行われた。

平成19年10月17日(水) ◎ゴロンタロ市からマカッサール市へ移動

 早朝、遅澤先生と前日ラジオ番組の司会をしていたINDRIに誘われて、バジャイに乗って市場に行く。INDRIと一緒に乗ったが、涼しい風が顔に当たり、乗り心地は良かったが、路上にネズミの死骸があったりして、車では見えない風景が見えた。
  市場には米、野菜、果物、魚、鶏肉、乾物、雑貨何でも売っている。香辛料も色々な種類があり、目で鼻で楽しめた。魚は、日本でもおなじみのアジやカツオ、マグロ、エビ、イカに加え、フナのような川魚も売っていた。並べられていたのは朝揚がったばかりの魚で、活きもよく、跳ねている魚もいたが、氷は使用されていなかった。鶏肉も、その場でさばいているような感じで、色、つやとも新鮮さが感じられた。生きている鳥も売っていた。

ゴロンタロ空港出発

  今日は、インドネシアの副大統領がゴロンタロ市に来るということで、朝から地元警察の警備が厳しく、宿泊先のホテルまで後100メートルのところで、バジャイは通行止めで、歩いてホテルまで帰って朝食を取った。
 宿泊代はカードで支払ったが、JCBは使用できず、VISAで支払いを済ませた。海外に行くときは2種類のカードが必要。
 ホテルから空港まで約1時間、ゴロンタロ市街に出ると、田園地帯が広がっていた。何人かの人が一列になり田植えを行っていたが、数十年前の日本へタイムスリップした感覚を覚えた。当然、田植機などの機械は見えなかった。
 ゴロンタロ空港では、副大統領専用機出発のため、予定より、90分程度遅れてゴロンタロ空港を出発し、マカッサールに到着。

 カッサールのホテルに向かう途中に雨が降り始めた。それほどひどい降りではなかったが、あちらこちらの道路が雨水で冠水して車が渋滞。二人乗りバイクで、傘をさす人もいた。道路の水はけが非常に悪く、少しの雨でも道路が冠水するそうである。
  在マカッサール日本領事館訪問時間が15時30分であったため、ホテルチェックイン後慌ただしく昼食を摂り、在マカッサール日本領事館へ行く。後藤総領事と懇談したが、日本からの留学生のマナーの悪さを指摘された。

 夕方、ハサヌディン大学関係者を招待して、日本人留学生がインドネシアに来たときに実習船として利用しているチンタ・ラウト号に乗船。チンタ・ラウト号は、NPOが所有し、海洋実習や海や島の環境調査船として運営しているとのことであった。船室には10人程度宿泊するベッドと炊事場なども完備されていた。雲が多かったが幸運にも綺麗な夕日が見えた。

 チンタ・ラウト号からロサリ海岸近くのレストランに直行し、ハサヌディン大学関係者を招いて小松学長主催の夕食会を開催した。広島大学に留学していた医学部長(専門は麻酔科)が日本に留学していた時に覚えた「骨まで愛して」を熱唱するとのことで、米澤が「スキヤキ」を歌ったが、正直、アルコールを飲まないで人前で歌ったのは、小学校以来であった。私が歌ったので、医学部長に加え、Tina副学長も歌ってくれた。アルコールはなかったが、顔が赤くなった1日であった。

平成19年10月18日(水) ◎マカッサール市内からジョグジャカルタへ移動

 早朝4時20分起床、ハサヌディン大学関係者を招待し、6時00分にチンタ・ラウト号に乗船し、Spermonde Islands諸島の視察を行った。Islands諸島は大小120あまりの島からなり、昔から交易の拠点として人々が住んでいたそうである。
 現在も多くの住民がいて、島からマカッサールまで船を利用して通勤しているそうである。島では、子どもたちの教育が問題となっているそうである。

  朝食後、ハサヌディン大学の構内視察、とにかく広い敷地で、北海道大学の2倍の面積があると聞いた。
  ハサヌディン大学部局長との協議では、愛媛大学で無細胞タンパク質など最先端の研究ができていることに対する質問や、今後の学生を含めた交流について意見交換を行った。

◆ハサヌディン大学での協議
 副学部長(第3、第4)、学部長(14学部)等、総勢50〜60人が参集した。
1) 愛媛大学が、インドネシアの3大学との連携交流や共同研究をめざし、全体のコーディネーター的な機能を果たすよう努める。また、ハサヌディン大学がゴロンタロ大学も含めたスラウェシ周辺大学への教育研究の調整役として機能すると同時に、愛媛大学も含めた日本から情報の受け皿として機能し、大学内外に情報発信する役割を期待。
2) 大学間協定、学生交流協定を利用し、さまざまな資金(基金)を組み合わせて継続的な学生交流、共同研究を推進する。
3) 当面は、ハサヌディン大学の将来構想の基幹となっている海洋研究を主体とする海域世界研究を、さまざまな基礎研究分野を取り入れながら展開する。

 その後、ホテルでアグネス講師と今後の具体的な交流について協議を行い、19時45分発の飛行機で、今回、最後の目的地であるジョグジャカルタに出発した。ジョグジャカルタのホテルに22時00分ごろ到着し、ガジャマダ大学関係者と打合せを兼ねた遅い夕食を取る。

平成19年10月19日(木) ◎ジョグジャカルタ2日目

  朝、8時に遅澤先生と打合せの約束をしていたので、ホテルのレストランに行ったが、30分過ぎても先生が来なかった。食事を済ませたころ、先生が現れたので、「先生、遅いですよ」と声をかけると、「まだ、早いですよ。時間は7時45分ですよ。」と言う。この時、マカッサールとジョグジャカルタでは1時間の時差があることを聞かされた。小松学長夫妻、亀井副学長にも連絡して、時計を1時間もどしたが、得したのか、損したのか、やけに眠たさを覚えたのは事実である。
  Gunung Kidulの地質サイトSouth part of Yogyakarta を視察し、夜、ガジャマダ大学関係者及び愛媛大学に来ていた留学生を招待して、学長招宴の夕食会を開催した。今後のインドネシアの大学を支えていくであろう元本学留学生に期待。

South part of Yogyakarta の視察

平成19年10月20日(金) ◎ジョグジャカルタ市からデンパサール市へ移動

■ガジャマダ大学概要(協定締結日:平成19年5月15日)
・所在地:インドネシア共和国ジョグジャカルタ市
・学 長:Prof.Dr.Sudjarwadi
・概 要:インドネシアの大学の中でもトップレベルの教育研究実績を有する基幹大学で、51カ国780人の留学生が在学している。日本からの留学生も37人と多い。18学部、学生約55,000人。

 ガジャマダ大学を訪問し、Sudjarwadi学長と会談し、客員研究員の交流等について、意見交換を行った。小松学長はテング熱の研究を行っているIrfan農学部土壌・微生物学科長が来日することを知り、愛媛大学にも来ていただけるよう要請した。

◆10月20日のガジャマダ大学学長との会談
 Sudjarwadi学長、Susamto農学部長、Na’iem林学部長、Irfan農学部土壌・微生物学科長、Taryono農学部副学部長(教育研究担当)が出席。
1) 愛媛大学とガジャマダ大学の教育研究協力は、当面Susamto農学部長とNa’iem林学部長を窓口として実施するようにSudjarwadi学長より指示が出された。
*ガジャマダ大学は、大学予算でSusamto農学部長、Na’iem林学部長を愛媛に派遣し、教育研究連携の具体的な計画を協議する準備あり。
2) Irfan農学部土壌・微生物学科長等を窓口として、ガジャマダ大学の「熱帯微生物研究センター」(IC.Biotec)と愛媛大学の「無細胞センター」との共同研究の可能性を検討する。
*Irfan土壌・微生物学科長が訪日(大阪大学を訪問)する機会には、松山まで足を伸ばしてもらい協議を実施するよう依頼した。

 ガジャマダ大学構内を視察、中央ホールに立ち寄ると結婚式の準備をしていた。資金を集めるために、一般の人々にホールの貸出を行い、大学に対して寄附をするシステムができあがっているとのことであった。ゲストハウスも見学したが、建物は7階建てで、市内のホテルと変わらない設備であり、次回来たときはこのゲストハウスを利用してほしいとの話があった。
 昼過ぎの飛行機でデンパサール空港に向け出発。夕方、デンパサール空港着、エイジェントの大木さんが迎えに来てくれていた。疲れを取るために、バリ式マッサージを受けることとなったが、日本からの女性客が多く、マッサージというより、リラックスするための時間となった。
  夕食前にスーパーに行き地元の香辛料を購入するが、出国時に液体の香辛料は取り上げられてしまった。夕食は、デンパサール在住の日本人(日本の留学生のお世話をして頂いている方)を招待して中華料理を頂く。久々に食前にアルコールが出され、楽しくインドネシアの最後の夜を過ごした。

平成19年10月21日(土) ◎デンパサール〜関空〜松山

 予定どおり、デンパサール空港を出発し、関西空港へ到着、9時の松山空港行きの飛行機に乗る。
 9時45分松山空港着。
 解散。

◆ おわりに ◆◆◆

 約10日間のインドネシア訪問であったが,今回のインドネシア各大学訪問では,愛媛大学に留学していた元留学生やその家族の方を含め,多くの皆さまにお世話になりました。これは,本学の国際交流担当の教職員はじめ遅澤先生や本学の先生方がインドネシアからの留学生に対し,大学生活だけでなく,すべての面でお世話をしていたことがあってこそだと痛感しました。
 特に,この10月に連合農学研究科を修了したAzizさんには,通訳,案内をはじめ公私ともお世話になりました。この場をおかりして御礼申し上げます。
 Azizさんは,この10月末からゴロンタロ大学に勤務することを聞きました。ご活躍をお祈りいたします。